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明主様
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室生(むろう)寺と焔摩(えんま)天像
これは 明主様の教祖伝、「東方の光」下巻、631ページ
(抜粋)「 最後の御巡業、 昭和29年 1954年4月10日、 7度目の関西巡業に出発。( これは秀明教会が ご奉仕を) 奈良屋公会堂で 講演。 公会堂から初め断られ、 信者の再度の申し込みで了承。
大掃除をして壁紙を張り替え、見違えるように綺麗に、幹部一同は当時の天候を 案じ祈っていた。京都はしのつく大雨、教祖は『龍神が都合よくやるよ 。』
教祖の車は京都から奈良にかかる頃、薄日が差し始め、 再び雨が降り始めたのは教祖の講話が終わって信者達が公会堂から出た後の事であった。」
講演中は雨が止んで晴れてきた。これは龍神の奇瑞と書かれています。
それから 奈良県宇陀郡室生村の室生寺に行かれる。
この寺は室生、龍穴神を祀る寺として、平安朝初期に建てられたもの。
この日に先立ち幹部がまず下見に行き、「事情を述べて当日教主を奥座敷に案内して頂だく事はできないか」と頼んだ。
寺側は「あなた方では偉い教主様かもしれないが、当方では、貴人と認めた上でなければ、奥の座敷に通す訳にはいけない」という返事であった。
いよいよ当日になり、教祖一行が無事寺に到着すると、礼装の衣に着替えた 役僧が出てきて、掃き清めた奥座敷に案内するとともに、この上ないもてなしをしてくれたので、不思議に思って寺側にその間の事情を尋ねると、
「この寺はには、昔から龍神の守護があり、貴人が尋ねる時には その時間前に雨が降り、その直前になると雨が上がって、境内がすっかり清められるという言い伝えがある。」
その日の昼頃には、まだ雨が激しく降っていたが、教祖が室生寺についた午後2時過ぎには、燦々と日差しが降り注ぎ、しかも寺の前を流れる室生寺の川の水が、
雨にも濁らず美しく澄んでいるので、「今日の来客は貴人に違いないと、急遽おもてなしの用意を整えた」という訳であった。
これは神慈秀明会の絵本にもあります。
このお寺のお坊さんが 、焔摩天像を所有されていたんですね。
そしてそれが神慈秀明会の入手になった。
雨宝童子像(天照天皇)、焔摩天像( 国常立尊)
これはすべて明主様であられます。 偶然とは思いません。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0004896.jpg
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