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明主様

475白ぽっち:2020/12/09(水) 00:26:58
(無題)
>人の眼を気にしている部分
色々考えたんだけど、「人の眼を気にしている部分」は苦しい理由としては末端で、
苦しかった本質的な理由は、
「言いたいことを言いたい人に言えなかったこと」
みたい。

駅での手かざしは、倒れている人を囲んでいる人達や救急隊員の人達に
「手かざしをしたいこと」を言えずに、
離れた所から黙って手をかざした。

数日前のおっちゃんの場合は、
気功、というとりあえずの表現だったにせよ、
一応ちゃんと伝えた。

駅での記憶は今でも苦しい印象のみが強いけど、
数日前のおっちゃんの場合は、
minoruさんの言うようにもうちょっと説明したかったな〜、という反省は有るものの、
苦しさよりは一定の満足感の方が強い。

言いたいことが言えない。
これが苦しい直接的・本質的な理由で、
人の眼を気にする事、そのものは、
言いたいことが言えた場合には、その満足度で
十分打ち消される程度の苦しさ、のようです。

秀明関連の影響は、それはもちろん何かしら有ると思う。
プラス面・マイナス面ともに。
カルト的布教を経験していると、やっぱり義務的・恐怖信仰的な傾向に、
既に教団を離れていても、知らず知らずなりやすい、感じはします。

教育は本当にその後長い期間にわたって
その人の人生に大きく影響する、
とても大切なものだと思います(宗教に限らず)。

>そっちの(イカしてるほうの)自分は深く認識してやらにゃ
こっちは、まさに上の話と重なるけど、言いたいことを言えた、ってことで、
やっぱり心が軽くなりました。何か単純に嬉しいね♪


>たぶん最初は皆、苦手だったんだろう
>やり続けて未信者浄霊が多く出来るようになると、その境地に行けるのでしょう。
>どんな方法でもまず光を入れるのがええのではないか
うなづけることばかりです。
色々と、布教経験がよみがえってきました。
最後の街頭布教経験は、平成8年。もう四半世紀前になります。
秀明は次の年から新体制となり、街頭布教をしなくなりました。
解放感を感じていた仲間は多かったですね。


それからずいぶん長い間、元気な人に浄霊の話をしてみることは、普段全然思うことが無かったのですが、
皆さんに色々意見を頂いた事で、
元気な人にでももうちょっと、
気軽に話をしてみようかな、と前向きな気持ちになりました。
緊急的な場面でも、心の準備をして頑張って伝えてみたい。
伝えなくて苦しかった経験は生かしたい。

これも、色々思うことを書いて意見をいただき、心が軽くなったからのように感じています。

ありがとうございます。




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