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明主様
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(無題)
1番さん
天照というキーワードから捉えるのも一つですが、少し異なる目線で下記の二つの御教えから考える方がスッキリするかもしれません。
「観世音菩薩の御本体」 (昭和10年9月15日)
https://web.archive.org/web/20181106014815/http://www.geocities.jp/shumeic1/amaSUME.html
(一部抜粋)
「天照皇大御神は、主神の表現神で被在られ最尊最貴の御神格を具し給い、一あって二無き大神で被在られ、天孫降臨の際、かしこくも、皇孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)に、豊葦原瑞穂国(全大地球)は、天壌(あめつち)とともにきわまり無き云々との御神勅を賜り、万世一系たる天皇に、統治の大権を、永遠に委ねさせ給うたのである、」
(抜粋終了)
「神様と私との関係」 (昭和29年2月25日発行)
https://web.archive.org/web/20181106014825/http://www.geocities.jp/shumeic1/mikuratana1.html
(一部抜粋)
「その時私の体内に入られたのが最高最貴の○○○○○の神様であって、出所早々散花結実の書を千枚かいて主なる信者に頒(わか)ち与えたのも、その時の経綸によったのである。
ところがその時から後の私は、以前のように神様に伺う事は必要がない事になったのである。
というのは神霊は私の体内に在す以上、以前のように神と人との隔てが撤去され、神人合一の境地になったからである。
つまり神即人である以上、私の行う事は神直接であるから、私の思うままをやればいい事になったのである。
このような訳を知ってから分った事は、神様に伺うというのは、最初にかいた通りこれまでのやり方であって、間接的である。
ところが今度のようになった私としては、未だ嘗て世界に例のない事はもちろんで、釈迦、キリスト、マホメットの三大聖者は判らないが、恐らく私程の神との直接的ではなかったと思うのである。」
(抜粋終了)
1つ目の御教えにある、統治の大権を委ねられた万世一系たる天皇とは具体的には何方か?ということ。
複数いらっしゃいますし、統治の大権を委ねられた証として首にはミクラタナを掛けていたように考えられます。
もちろん、天照皇大神から委ねられたという事になりますね。
それから、そのミクラタナを首から掛けているという意味合いと、体内にあるという意味合いでは違いがあるように思いますね。
未だ嘗て世界に例のない事だとも説かれています。
それ故のメシヤ降誕仮祝典の御事跡なのでしょうね。
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