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明主様

4448佐藤 孝:2021/12/26(日) 10:01:18
だいぶ御無沙汰してました。
皆さんの投稿はず〜っと拝見させてもらってました。もちろん、以前からも書いている通り
『直接』呼ばれれば、いつでも応えるつもりでしたが、特に求められる機会もなかったし、
私自身の事として、堂々巡りのような枝葉の投稿をヤメにしたい。もっと本質の部分を投稿
出来て、より多くの皆さんの日常(リアル)での糧となれる様な、そんな言葉を発したい。

そんな想いと共に、相変わらず自分自身と向き合いながらの日々を過ごしてます。
今回、ちょうどいつか語りたいと思っていたような流れが見えたので、久々に投稿します。

一時期ハマっていた『日月神示』の一文に『正神に奇跡なし』というのがあります。
ここで言う『正神』とは、艮の金神・国常立(メシヤ)であると私自身は捉えていますが、
勉強中さんの仰る通り、信仰は深まれば深まるほど奇跡とは縁遠い合理へ進むと思います。

『万に一つも偶然など無い』ので、奇跡を目の当たりにするには必ずその必要性(理由)が
あるから、という事になりますが、救世教で起こる奇跡は、体主(目に見えるものしか信じ
られない)を霊主に転換させる、その為の『奇跡』ですから、順調に転換が進めば、その後
はもう奇跡を目の当たりにする必要性が無くなるので『治らない』に出くわすのも必然です。

神慈秀明会で未だに奇跡が多く起こっているのが事実であるならば、そこには信仰初級者
が多く集っているという事になると私は思っています。もちろん未信者も多く集まる道理
となりますが、その理由も、ちょうど奇跡に魅せられる(=光)暗い夜の街灯に虫が集まる
ようなもんだと少し言い方悪いかも知れませんが、何より私自身がそうだったと思うので。

『浄霊で瞬時に病気が治る』という奇跡についてですが、これは夜の時代の観音様の経綸。
その時代にはまだ必要不可欠だった、信じる信じないに関わらず善悪無差別に救う。という

ちょうど薬師如来によって薬で一瞬にして病気が治る(奇跡)と同類になるかと思います。
そして、多くの人達がその奇跡に魅せられる(=体主)という構図まで一緒。

夜明けが迫っているであろう今はもう、経綸は確実に転換されてきていますから、火素の
増量と共に奇跡の数も年々減って来ている流れを、私自身は必然の流れだと捉えています。

多分、ここまで書いても理解出来ない方が多いように感じるので、もう少しだけ続けますが

観音様の経綸は国常立(メシヤ)の経綸へと進んでいるので、善悪無差別に救う処から
善悪区別へと入る訳です。誰も彼も浄霊一本でのべつ幕なしに治る時代は終わりつつある。
ちょうど薬で症状を抑えきれなくなる時代が来るのと全く同じような事ですけど、

これが、奇跡で世界は救えない。と私が思う理由ですが、理解出来る方いますか。




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