レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
明主様
-
とある思いで
以前箱根美術館に行った時に、確か入り口あたりだったか、壁に大きな写真がありました。どこかで見たことがあるなあとその時思ったままで、深く確認もしてませんので、不確かですが、あれは陶土採掘場。
故郷のことなんですが、瀬戸にあった陶土採掘場のことで、陶器の町、瀬戸市。
かつて瀬戸は小江戸とも呼ばれ、大層にぎやかに栄えたところであったようで、名残なのか栄町というところもあり、大変名の知られた鰻屋さんがある。
今では将棋の藤井という方も瀬戸出身で、本来の瀬戸物より瀬戸を有名にしているとか。
焼き物にはいろいろありますが、これは瀬戸の焼き物だとか、それをよく見ます。樋口先生のところにも瀬戸物があって、これ、瀬戸のものですよねと聞いてみると、確かに北米担当だった勝野教師からいただいたということでした。
ですから、私が訪問する時はいつもその湯のみでお茶を入れてくださった。
勝野先生のお話ですが、先生がお世話されてた方が御守護をいただかれた、そうなるとその方は勝野先生に感謝する。しかし、勝野先生は『俺やない。あなたを救ったのは明主様やぞ。』とその点を大変はっきりさせたということでした。
ロサンゼルスには北米の代表であった勝野先生を知る信者さんは大変多かった。
栄枯盛衰というか、瀬戸には瀬戸川があって、その水は真っ白で、その白さが瀬戸の繁栄であったわけですが、今ではその白さはない。あの陶土採掘場にはすでに陶土がないので瀬戸の陶器はほとんど個人の陶芸継承者によって受け継がれている。煙突もない町となった。
そんな町にも浄霊があった。それほど大きな発展はなかったようなのだけれど、陶器関係者に浄霊は広がったようだ。
教団浄化の時に勝野先生に呼び止められた。『君は奉仕に来てる方に、松本総長について、否定的な話をしたそうだな?』と。どうも奉仕の方が先生の教会の方たちだったらしい。というか、そこ出身の専従者も少なからずいた。
とにかくそういうことで先生の耳に入り、呼び止められた。
『松本総長のお話の中で、教主様についての否定的なことが含まれていたので、私は教主様にそういうことを言ってはいけないということを話した。』というような説明をしたわけで、当時の教主中心ならば教主様を疑わないという姿勢があったことを思い出しました。
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板