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明主様
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自己浄霊といづのめ教団
『精神病はこれからだんだん増えます。
というのは霊界が変わってくると、霊が浮きやすくなりますから、ちょうど浄化が強くなると、固まりが溶けやすくなるのと、同じようなもので、霊も落ち着いていたものが、浮いてくる訳です 。(中略 )とにかく、精神病は人ばかりではないので、※自分でもおかしいところがあると思ったら、自分で浄霊するのです 。』(み教え集、21号、昭和28年4月号5日)
《自己浄霊を取り上げるについて、関連するみ教え》
『浄霊は時が進むに従って、その時にあったやり方でやると良い 。』(垂3号、昭和26年10月1日)
《自己浄霊の重要性を神教で学ぶ》松本康嗣
自己浄霊という言葉は神教の中で熟語としては出てこない。想念浄霊という言葉も熟語としては出てこない。しかし『お光が強くなったから、想念の浄霊で治るんだ。』という み教えは『仰景』に出ている。
『自己浄霊』という熟語はないが、明主様は自分が自分を浄霊する場合と、自分が他人を浄霊する場合の浄霊について、お伺いした人に対し、浄霊は『同じです。』と、み教えになっている。
教団の指導者は オクラになっていた、み教えが 表に出る事によって、今まで環境の過剰適応できた資格者や信徒に対し混迷を、与えることのない、適切な指導の責任がある。
教団は昔の病気治しに戻るのではなく、病気直しをする教団が、真の世界メシヤ教であると、本念の所へ帰れるようにしないといけない。 その意味で明主様の大悲願の旗を押したてないといけない。
病気治しをする教団、 病気治しができないで、最後の審判の救いはないからである。
最後の審判に備えて説かれた明主様の御教えが、正しく取り組む教団になることこそ 、新生の真の意味になる。信者は確信をもって(自己浄霊)掴まなないといけない。
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