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明主様
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会主様の自己浄霊
「楽苑」 8 号、春季号、(奇跡の水特集 )(昭和52年(1977) 4月25日発行)
神慈秀明会は 奇跡の水があるから、「 自己浄霊」は必要ないと捉える人もいますが、 自己浄霊、 明主様は み教えされてます。 ここから神慈秀明会の信者 に見て頂きたいと思い再投稿させて頂きます。
《珍(うず)の神業》
明主様は最上の時期を選び、浄化を賜り浄霊のみ光と、「みたらしの水」の奇跡を、まざまざ体験させて下さいました。※( 世界救世教より離脱した頃から、起こり出した御手洗の水の奇跡、秀明では、「みたらしの水(聖水)」と呼ぶ、 浄化により、浄霊と共に患部につけたり、飲んだりする)
(会主)
「世話人会を終えて」
「12月21日世話人会を終えて、目前に迫ったご生誕祭までに、御神床を新しく美しくするべく身を清め、御神体の御動座をお願いして、 宗務棟(現京都支部)へ行こうと裏口から出た途端 、そんなに急に急いでいた訳でもないのに、足払いをかけられたように、実に勢いよく転びました 。
とっさに左手をつき、あわてて飛び起きました。全身の体重が、左手首だけにかかったので、体は何ともなかったのですが、手も痛むのは当たり前だと思いはしたものの、 左手を下へ下げる事はできず、しばらく※「自己浄霊」を頂き、右手で抱えるようにして、御用を済ませ会長宅へ帰りました。
※(この文を見て、「 自己浄霊」、古い信者は分かりますが、一般の信者は何の事か分からない。当時は離脱後 慌ただしく、また説明もない、そのまま話は続きますから、今日まで「自己浄霊」は 閉ざされてきた。秀明は、
利他愛を強調するあまり、み教えとして「 自己浄霊」を教えない限り、 自分に浄霊する事はとんでもない。 自己愛であると、捉えやすい。)
(中略 )
《明主様の天恵》
その翌日は三栄子さんの5年祭 、その次も次もともかく28日までは、京都へ通う日々でした。
日がたつにつれて、ますます腫れ上がり、腕まで腫れてくる。その上、赤紫とも黒ともいいようのない 醜い色に変色し、所々膿色というか、いやな色になって指先までパンパンに膨れ上がり、腐っていくように見えました 指先はちょっとものに触れても、飛び上がるほど痛くて、着物の袖を通すことすら用心して、そっと通せばならず、薄い紙切れ一枚持てませんでした。
菓子箱のボール紙を3枚、手の形に切って貼り合わせ副木の代用とし三角筋は、これも風呂敷で間に合わせ、全て素人の手当てで済ませました。
ただ、「みたらしの水」だけでは、天下広しといえども、神慈秀明会にのみ、お与え頂だいている、天恵の御神水であり、浄霊のみ光と合わせ、強く感謝と共に頂きました。
一般症状は一向に快くなる気配も見えないのに、触れない限りは全く痛みはなく、どうなり行くか心細い気がしそうなものですが、
明主様にお任せした以上は、きっと良いようにしてくださるに違いないと、達観という訳ではないのですが、自分の手でありながらクールな、突き放したような気持ちで浄化の成り行きを見守る日々でした。
《珍の神業》
漸(ようや)く、 体が空いたのが暮れの29日、祈り 良くこの日が年内の診察最終日に当たっていたので、再診を受けに出かけました。
レントゲン撮影で完全に骨はくっついていたのです。なんと素晴らしいご守護!明主様ありがとうございます。思わず合掌しました。骨の怪我は幼児や青年ならば 治りが早くとも、歳をとるにつれて治療が遅く、
大変な日数がかかるとかで、相当期間を確保せねばならないと自分自身に言い聞かせていたのです。
きっと、キヨトンとした顔つきを、していたのかもしれません。
医者も不思議に思ったのか、角度を変えて何度か写し、間違いなく治っていると言いました。(後略)」
( 会主様は「奇跡の水」と「 自己浄霊」で、ご守護を頂かれてます。 神慈秀明会では「自己浄霊」は、ここだけしか書いてありませんので、皆、見落としていると思います。 もっと、スポットを当てるべきでは、「自己浄霊」、神慈秀明会は 脳天と眉間だけでも、良いのではないでしょうか。 もし山で遭難したり 、自宅で浄化した時に 、奇跡の水がない時、 一人で、ただ祈るだけで、 御浄霊が許されないというのは、 おかしい。 もっと柔軟になるべきでは、ないでしょうか 。)
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