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明主様
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御生誕祭講話から
秀明紙、昭和57年(1982)2月10日発行、143号から、
《 運命の転換》拝読後、
抜粋、(会主様)
昭和6年6月15日 鋸山 においでになり、『 夜昼転換』の神秘を感得なさったことは、皆様知っていられますね。 その後、御神示に関連の深い御神業として、
それから10年経った昭和16年5月、丹波の元伊勢神宮に御参拝になられました。
これは明主様御帰天後、ずっと後になって知ったのですが、 それに先立つ4月の末に 、元伊勢参拝の御神事があり、早速側近の者にその由を、 お洩しになりました由、 これは大切な御神業だと思ったので、その人が 当時の高弟渋井氏に話されたところ、大喜びで、その御用を是非自分に、させていただきたいと、申し出られました。
そしてほぼご予定が決まると、すぐ渋井氏は気働きのある一人の弟子を連れて、明主様がおいでになる先々を一巡して、様々な準備を整えられました。
まず地理を調べ、汽車や電車の時間を計り、お宿の剪定、だんだん統制が厳しくなる戦時中のことですから、ハイヤーを調達するのにも、ガソリンを入手しなければなりません。食料の心配もあるわけで、ともかく最善を尽くされたのでございます。
その10年後、昭和26年春、明主様が関西においでになるについて、当時の秀明教会がご用意万端とお接待役を仰せつかりました。
まだまだ潤沢にものが出回らない頃で、色々と自分なりに心を砕き、ご準備させていただいたことを、懐かしく思い出します。
御日程 を簡単に申しますと、昭和16年5月22日もちろん新幹線はありません。特急つばめにご乗車、京都府下の綾部で御一泊、次の23日に元伊勢に詣でられ、御手ずから 、玉串奉奠を遊ばし、 後、奈良においでになって、法隆寺、夢殿ついで、興福寺、春日神社、東大寺を回わりになって、奈良ホテルで御一泊でございました。
入信 間もない「私が その時 、初めて奈良ホテルで明主様をお迎えさせて頂けたので、記念の日でございます。」(中略)
翌、25日は、近江八景に御一巡、石山寺にお運びの後、楽々園という料亭で、納めの大宴会をお楽しみになり、夜行で東京へご帰還になりました。
東京駅にお出迎えしたのが、渋井氏とともに、高弟であった中島氏で、その翌日には 7月1日の伊勢神宮ご参拝が決定し、今読ませて頂いた神秘なことが起きたのでございます。」
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(ここからは神慈秀明会の信者としての解釈ですが、
当時、高弟の渋井総斎(ミロク会)のもとで所属していた、秀明教会でありますから、情報が入ってきたと思います。
昭和16年、入信間もない会主様と明主様との御邂逅(かいこう)、今日の神慈秀明会、 世界救世教から離脱して明主様信仰を守り抜かれた会主様、秀明会ではこの日を歴史的に大きな節目であると学びます。)(一番)
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