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明主様
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お光が写る
「明主様ご帰天前、この世にいらっしゃる時から、邪神はことごとく明主様を狙いました。
邪神の頭目の力というものは、すごい訳です。 明主様ご帰天後、邪神は二代を使いました。
何と言っても大きな影響を与えるのは、その最高責任者です。 全体とするならば教団にとっては、二代とか三代とかいう最高責任者。それから各教会とか支部とかいう事になってくると、教会長、支部長、資格者という風に、(中略)言わば、お世話する側が邪神に狙われやすい訳です。
それでまず明主様、ご帰天後、邪神は二代を狙いました 。明主様信仰を潰すには、
その中心である※「御神体を廃止するか変更するか」、 これで明主様信仰が狂い始める訳です。
それでまず明主様ご帰天後、邪神は二代を狙いました。
※( 明主様御真筆を 変更して 二代が書き始める)
(中略) 当時教団に80ほど教会があったのですが、その中で秀明だけは、特別な風に見られていた訳です。
教団の中でも特別きっちりしている。一度約束されたことは絶対に曲けない。明主様との お約束は絶対に守られる。約束と時間をおろそかにする者は信仰の落第生だと『誠のあるなし』で明主様がおっしゃっていますが 、
まさにその通りの明主様信仰を、会主様は貫き通されました。 他の教会がどんどん堕落していきます。
人間は堕落が始まったら終わりです。このくらいでよかろうと自分で思って、自分で許していったら、いくらでも堕落していくのです。
秀明教会以外の教会では「お光をボストンバッグの中に入れて 持ち運ぶ教会長」「ご神体を普通の風呂敷で包む 教師」「よそ見、おしゃべりをしながらの浄霊」「教修せずに御光を授ける教会 」「入信献金の金額を勝手に変える教会」以上のような事柄が枚挙にいとまのないほどあったのです 。
明主様ご帰天後に会主様はどこへも持って行きようのない悩み、苦しみ、また大勢の信者の幸、不幸を担う責任を思われ、信仰の本筋を間違いなく進むよう、ひたすら明主様にお祈りされました 。
しかし事態はさらに悪くなっていきました。(後略)
(そして神慈秀明会は離脱をしました。 救世会館取り壊し前の教祖祭)
「明主様が完全にいらっしゃらなくなったと、形を通して分からせて頂いたのが、2月12日からです。私が最初に教団に行ったのが、昭和45年2月20日でした。
あの一番長かった日です。その朝に教団に行った訳ですけれども、本当に涙が出てきました。3月10日には教祖祭に行っています10日後でしたけど 、 20日に行った時に椅子が全部取り払われて救世(メシヤ)会館は絨毯は敷いてなく下はコンクリートのモルタルという建物としては決して高級というイメージではなかったですけれども、明主様が設計された救世(メシヤ)会館が、あちらこちら戸も外されていて、火事で焼けたような建物といった表現がいいでしょうか、荒れたと言ったらいいのでしょうか、壊されている途中の状態でした。
本当によく平気でできるなと思いました。
教団側は「聖地を離れては光はない」とか「聖地は明主様のお肉体だ」と叫びますが、おかしな事ですね 。明主様がお心を込めてお作りになった、御神殿である救世(メシヤ)会館を潰したのですよ。」
「神意の離脱」抜粋、
(世界救世教を離脱して、お光は出ないと、当時言われていた。 その頃の写真ではなかろうかと思いますが)(一番)
この写真は、 昭和60年(1985)代の写真だろうと思うんですが、 神慈秀明会のものですが、 これは写真家の判定で、当時の技術では作ったものでないと言われてましたね。
左端の人が信者で、お光をかけてるところから、光が出ているんですね。右の2人は未信者です。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0004247.jpg
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