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明主様
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経験 を文章に
信仰と自分は、 どういうことかと、あまり考えたことなかったんですが、
六十歳を過ぎたぐらいから、その距離感を考えるようになりました。 自分の考えと、体験するということ、文章に書くということが、
その 体験が文章になって 、説得力が増すというんでしょうか。
世界メシア教、明主様のお孫様ですが、 この方は風貌は、明主様なので明主様と同一視してしまいますが、
中身は、おぼっちゃまですね 。明主様のお孫様だから、
みんな 厳しく表面的は扱うかもしれませんが、
内面的には そのように、持ち上げてしまいます。
現場の苦労、体験、 修養 が足りないのでは、
当時の世界救世教の幹部がそこを考えて、色々夜の街へ連れて行ったとか、 書いてありましたが、 その方なりのご苦労はあるとは思いますが、 芯がない。
神慈秀明会の 会長にしても、現場体験というのはあまりされていない。そこでご自分の意見を、文章にして 書かれてません。 会主様のされたことの意見は述べられてますが 、新しいものはない。
以前名古屋に、「 五六七大栄会」がありましたが 、 会長の彼は父親が亡くなって、若くして会長になり、自分で新しく 、J 、ヒーリングを立ち上げて、
神慈秀明会からも何人か行ってました。奥さんも秀明の信者でした。別れたと聞いてますが 、
それが10年続いたんですかね、 経済的に行き詰まって無くなりました。
私は一度電話で話したことありましたが、短気な人でしたね 。我慢ができない。
若さで経験がなかったんですね。
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