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明主様
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不思議なもので
聖地への未練はまったくない。
ゲラちゃんたち主の光の信者は、20年以上も前に、10年間ほどだったか、
聖地からは締め出されていた。
10年ぶりくらいに、救世会館に入ったとき、特別な感情はなかった。
子どものころ、迷子になって泣いた場所、走り回って叱られた場所、参拝そっちのけで
恋にうつつを抜かした場所、懐かしさはあっても、感慨はなかった。
思うに、聖地とか、ご神体とか、参拝する人の想念でかなり異なるのではないかと感じる。
それなりの想念であれば、いくら聖地であっても、主神様はそれなりのお働きしかされ
ないのではないかと、な。
やっぱり信仰は、まず想念だと思う。
伽藍仏教のように仏像などの芸術品で布教する例もあるが、まだ絶対力の出ない時代のことのように思う。
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