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明主様

34171番:2021/09/10(金) 12:22:13
秀明紙勉強会に行きました。
《信楽で三つの芸術が融合した素晴らしい展開 》
(本部)H橋ゆみえ
抜粋 、昭和48年、 会主様は「聖武天皇が一時都となされた後に近く、名も?紫の香り、楽しい?と書く美しい古名の誠にゆかしい土地を、神慈秀明会に賜りました事は、ひとえに明主様の御恩寵 のあればこそ」とご講話くださいました。
(中略)
発端は2019年「 夏期特別展、信楽宮と甲賀の神仏」でした。この展覧会では是非とも地元の方々と、コラボレーションの機会を作りたいという事で、地元に知り合いの多い私が窓口となり、教育普及のメンバーと共に取り組みをさせて頂きました。
「MIHO MUSEUM ( 美術館)が(信楽に)来られたのは、来るべくして、来られたに違いない」と、当初から何度もおっしゃっておられます。さらに宮町には本部の田んぼもあるのですが、「いつも秀明さんは丁寧に作業しておられ、大変素晴らしい」と繰り返し仰しゃっていました。
私のお世話人であるT方純子さんに、お誘い頂き、友人で二講済のS本しのぶさんが、 信楽でマルシェの活動 。レストラン「銀俵」の社長であるN登正太郎さん、えりさんご夫婦を紹介して下さいました。
秀明自然農法のご飯やお味噌汁を召し上がって頂き、自然農法のS井健二さんに詳しい説明を。
(中略)
宮町の田んぼの話をされたのです。それで「あこれは明主様だ!」と思い。実は一週間後にここで自然農法の会を開く予定なんですと思わず伝えました。
(中略)
後で分った事ですが 、広瀬さんはじめとする宮町の方々は、この紫香楽宮の跡地を、古代 から続く聖地と捉え宮町に広がる55丁の田んぼは、出来る限り現状のまま、保存したいという思いがあられました。

そのために広瀬さんは 営農組合を立ち上げ、実に10年以上かけて、様々な準備をして来られたという事です。そしてようやく、その準備がなんとか整い、本年は例え小規模であっても、ご自分達の手で試行錯誤をしつつ、無農薬で米の栽培をやってみようと、考えておられたという事でした。
その一因として、宮町の一角にある本部の圃場で、自然農法部の松本俊一さんが、14年間一生懸命お米を育てる姿をご覧になり、無農薬でも出来るんだなと思われた事もあったそうです。
無農薬でやってみようとしていた計画が、急展開し 一挙に本部自然農法部のサポートによって、秀明自然農法に取り組むという、これ以上はないスタートを切らせて頂ける事になったのです。

明主様ありがとうございます。
そしてこの3反の田んぼで、本年3月より本格的な作業が開始され、自然農法部のS井さん、M本さんのサポートにより、宮町の地元の方々が参加し 、共に作業して参りました 。
そして決まった三反の土地は奇しくも、このようなプロジェクトは若い世代が大事だからと、H瀬さんが打ち合わせに呼んでいた、若い主婦のM智子さんのお宅の所有地でした 。Mさんのお父さんは早くに他界しましたが、H瀬さんの同級生であられたそうです。そして大変奉仕精神が強い方で、もし生きておられたらこのようなプロジェクトに、積極的に参加されていたであろうという事でした。しかもなんと、その お父さんのお名前は「茂吉」さんでありました。(後略)」

( 神慈秀明会では言ってませんが、 聖武天皇が 都を開くとされていた、聖地であるとありますが、 聖武天皇の妻方は、明主様の前世であると言われる、「光明皇后」ですので、何か後押しをされたのかと、想像します。
それと、 お米を育てた本部のM本君は友人なので、嬉しくなりました。)(一番)




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