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明主様
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〇民同
神を力に、誠を杖に進む身は、世に恐るるものの、なきを知りけり
天に??恥じず、恐れなき人こそは、神が愛(め)でます
赤子(せきし)なるらめ
惟神(かむながら)神のまにまに進まなむ、曲(まが)の遮(さえぎ)る道狭くとも
(離脱後初の月次祭 御讚歌)
「明主様のこの歌で離脱の正しさ、秀明教会の行く手を見事にお示しになりました。
もちろんご参加は、毎朝 毎晩 、順番に1ページ3首ずつあげていくものですから、人為的に作為的に選び出すものではありません。
離脱 独立は、大神様明主様のお仕組になられた神示でした。
まさに「神意の離脱」だったのです。すでに離脱前から多くの信者が、夢やみひかりで御神意をお示しいただいていた事も、霊界での喜びが知らされていたのです。
会長先生は次のように説かれています。
「 真の信仰を進める人は、どんな邪神がやってこようとも、恐れることはありません。
偉大な大神様明主様がつてくださいます。
正しく歩み、邪神に負けずに進む人こそが、神様に愛される神の子なのです。
そして神様のお心のままに進めば、邪神のどんな妨害にも負けず、真っ直ぐに進めます。
それこそが正義の道であり、真の信仰の道です 。曲(邪神)のさえぎる道を通り越した時に、真の幸せが待っているのです。」
《 堕落、妨害、曲(まが)の遮る道》
離脱公示の昭和45年3月1日以後、助師、世話人、各支部と、連日連夜の説明会が行われ、会主様と会長先生は東奔西走、真心を持って信者に説き、質問に答えられました。会主様は、
「 明主様信仰者ならば、この離脱が尊いご真意である事が分かります 。
しっかりご浄霊をお取次ぎなさい。浄霊力の強さはその結果を見て分かります。
1年も経てば自然に分かります。 この御神意が分らない人は熱海へ行きなさい。
私は一人だけになっても、お道を貫き通します。 私についてくるのなら黙ってついてきてください。」
と毅然とした御態度でした。
教団の無法は説明されても、個人的な悪口は何一つおっしゃいません。明主様の『人を裁くなかれ』の、み教え通り真の信仰の姿勢で接しておられたのです。
教団は実力ナンバーワンの秀明教会の離脱に周章狼狽(しゆうしよう、ろうばい)してました。
公の席で会主様、会長先生の悪口を言うばかりか、様々な策略を弄し、悪魔の手先は信者に近づいて切り崩(くず)しにかかりました。
執拗(しつよう)で悪辣(あくらつ)な文章作成や、電話戦術 、ご参拝を遮(さえぎ)り、戸別訪問し、朝から夜中まで、ありとあらゆる手を使って、妨害の波状攻撃を仕掛けてきたのです。
不幸にも曇りの多い人々は、甘言に乗り、脅しに屈して、脱落していきました。
3人の大柄な男達が突然乗り込んできて 、居丈高になって、会主様、会長先生に面会を強要し、理不尽な言いがかりをつけて謝罪しろと迫りました。
またその後の月次祭に、「これから大挙して教会に行く」と、ものすごい声で電話があり、信者に万一の事があってはと懸念して、警察にも連絡を取りましたが、 それを察したらしく姿を見せませんでした。
警察は「?〇民同 ?か」と、 すぐ分ったらしく、このこと一つ取り上げただけでも、教団がどんな団体と手を組んだか よく分かります。(後略)」
「神慈秀明会 の歩み」 昭和58年10月発行 から
( 秀明が離脱した後、〇合輝明、右翼団体の〇本明重氏が手を組み、教団を変えたのです。)
下の写真は昭和47年発行された、 「世界救世教物語」から、
神慈秀明会 離脱2年後の本、発行人が〇本明重、
監修、〇合輝明となっています。
下の写真は自分達が代表であると 、写っています。
その下に トレーナー姿で。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0003341_2.jpg
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