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明主様

27436年生:2020/11/10(火) 07:13:30
宗教行事
私個人の考え方ですが、祝詞の言葉やあげ方について、どのような在り方が正しいのかということにこだわった時期もありましたが、現在ではそれが自分に必要なのかどうかで判断するようにしています。どのような御文字、御写真からも神の光を感じ取れますが、これが一番ということはありません。だからと云って常に向き合うこともありません。その時の自分に必要かどうかで判断するのではありませんか?

そうするとそれは自己中心的と言われる。そうではなく必要なことは神が示すものだから、自分が欲するものと自分に必要なものが理解できれば良いというのが私見です。

私は、では神を拝むということについてどのように受け止めればよいかと疑問を持っていたところ、

「世界が救われるには個人が完成すること」という研修で、だから「私は神様を拝んだことがない」とのお言葉をどのように自分に返していけばよいか。また神を拝むということはどういうことか。
東方之光発足当時、「つまり個人と世界は一つだと明主様は言っているわけです」と川合会長はずいぶん徹底して指導されたと記憶しています。




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