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明主様
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昭和30年3月21日 、木原先生ご講話
(前略 )「今は( 世界救世教)体主霊従になりきったようにしています。実に九分九厘と一厘と言いますが、
戦いというものは続くものだなあと思っています 。今彼らが私に対する批評批判は、あまりに厳格すぎるとか、一本気とかで、道理に合わないのです。( 中略)
それからこれは根本から、お話ししておかないと分からないのですが 、仰昇天遊ばした次の日の11日です。
「今度は奥様を 二代様としてやっていこう。
明主様はかねがね、そうした事を仰しゃっていた。」と、松井(顧問)という男が私に言った。
明主様はそんな事を絶対に言われる訳がない。
それなら『御神書』から作り直さなければ、ならないと事になるのです。
ただ後を体的に、上手くやろうとする気持ちが、そういう事になる。「しかし、今のところ そうするより、他にないだろう」と言ったのです。
その時 私は、「明主様の御教えは断然曲げられない。御神体もお写真にすべし。」と、いう事を言ったのです。
ところが奥様を二代様として、戴(いただ)くと言った口の端(はし)から、「 度々のお話に、そう お話も続かないだろうから、( そこまで信仰を理解されていない) 自分が御神書の解説をやっているから、それを通して 、二代様にこの範囲から出ないように、( 脱線しないよう)やらせようではないか。」という話が出たのです。
「それは違うではないか、二代様と推戴した以上は、何やかやと、指図(さしず)がましい事をする必要はないではないか。」( それで決まったらその通り 受け入れる)
「 で、もし二代様が嘘(うそ)( 間違い)を言われたならば、自分が出ればいいじゃないか。
そこは自由だ。二代様と立てた以上は、かくすべしという筋合いはない。」と私が主張しましたら、
それが大きな声になった。(中略)
いよいよ(明主様)御昇天になると思いましたので、(中略)そうすると二代様は私に「祝詞を奏上していいか」と言われるのですから、「結構ですよ。」と言いますと、
そこから祝詞奏上が始まった 。私は?誰に御守護をお願いされるかな?、と肚(はら)の中で思いながら 、(明主様の)お手を握っておった。
1時過ぎから10時間 手洗いに立っただけで、お側は放れなかった。(奥様)は、「 いづのめ の大神守りたまえ 、さきはえたまえ、神ナガラタマチハエマセ。」を2回、 祝詞奏上してから、
その次は?水の御魂?の大神を唱え、 懐(ふところ)から?みてしろ?(大本教 病治癒祈願 祝詞)を出して、お取次が始まった。
これは私が大本教に、おりましたから知ってます。
それで私は額から霊光を放射して、払うという状態で済んだのです。( 木原先生は額から御浄霊をされ、 大本祝詞 阻む事をされたのか 定かでない)
なんぼ隠そうとしても、しょうがない理由ー
( 大本に戻す 、企を感じられたのか)(一番)
一番最後にそういう事をしておられる。(大本の神に頼む)それなのに明主様が、後はお前がやれと、
仰しゃったと、彼らは言うのです。
しかも新聞には私までが、(奥様を二代教主に、お言葉を)聞いたように書いてある。」(後略)
( 新健康協会、「教長様お導き集」昭和30年3月)
◆
(これらは教団として記録として、残せないでしょう 。教団が解体しますから、 そこで世界救世教の信者達は知らない。
離脱教団は 知っている。 ではそれが本当に真実なのか?今の教団の現状を見れば、 想像はつきます。)
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