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明主様

267勉強中:2020/11/09(月) 16:49:57
善言讃詞について
どなたか詳しい方いらしたら教えて下さい。

平成3年に世界救世教から出版された「天津祝詞、善言讃詞、神言のてほどき」という本によりますと、
1)善言讃詞は昭和十年の立教とともに「本教独自の祝詞として採用された」。
2)昭和十三年になると、政府は「新宗教の活動を全面的に禁止」し、明主様も宗教としての活動を断念し「民間療法による救済運動」をされることになり、善言讃詞はその時点で「奉唱することが一時的に中止された」。
3)終戦後、日本観音教団としての宗教的活動再開を期して、善言讃詞は復活。
4)「以来十年、ときに章句の改訂はあった」。昭和三十年、明主様ご昇天後、二代様が「神前では奏上せず、仏壇、みたまやにのみ奏上する」ことを決定。
5)昭和三十七年、三代様が「奉唱をとり止めること」を決定。
6)箱根光明神殿竣成(昭和四十六年)にともない、善言讃詞は「再び神前奏上詞として復活のお許しを得た」。

という経緯が書かれています。
また、「明主様ご在世中にも、教義上きわめて重要と考えられる改訂が数次にわたり、特別な時期に、明主様のお筆によって行われている」とあります。

しかし渋井嘉丸氏の書かれたものを見ますと、多少違っている点があります。

A)明主様が善言讃詞の字句を追加されたのは昭和二十三年に「メシヤとならせ」と加えられたときのみで、その後本文には一切手を加えられてない。
B)二代様が御神前での善言讃詞奏上を中止され、「霊壇、仏壇の専用祝詞」としたが、二代様ご昇天後しばらくして、明主様時代の様式に少しずつ戻していこうというような雰囲気になり、善言讃詞復活の希望の声が多く寄せられた。

とあります。役員会で検討した結果、復活しようということになったものの、仏の用語が多いので、それらを改訂して復活、ということになり、当時の教学部長を中心に「F氏とI氏が加わり現在の善言讃詞に変わったのである」とされています。
そういうことから、故楳木氏のメシヤ教さんなどでは、明主様の作られた通りの善言讃詞を奏上されておられるのは多くの方がご存じと思います。

私の質問は、上記二点の資料中の相違点です。
「てほどき」では、明主様ご自身が「数次にわたり」改訂なされたとありますが、嘉丸氏は一度だけであったとしています。
また、「てほどき」によれば、三代様が昭和三十七年に善言讃詞を全般的にとりやめ、それが昭和四十六年まで続いたということになりますが、嘉丸氏の文書にはそういう記述はありません。もっとも、嘉丸氏は渋井総斎先生の死後、一旦教団を離れたそうなので、そのために詳しい事情をご存じなかったのかもしれません。しかし、もし三代様が善言讃詞を全面的におとりやめになったのであれば、その理由は何だったのでしょう?本当に十年近くも善言讃詞をお唱えしなかったのでしょうか?

今回、善言讃詞に関するminoruさんの投稿を拝見し、家人とそんな話をしたところ、離脱教団の中にも善言讃詞をまったくお唱えしていないところがあるらしいとはじめて耳にしたので、少し調べてみました。すると上記の疑問が出てきました。ご存知の方がいらっしゃったら是非教えて下さい。




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