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明主様
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お許しいただく、(過去の お屏風観音様の奇瑞)
そうですね 。私の書き方が、ちょっと足りなかったかも知れません。
これは新健康協会の新聞からですが、 昨日の感謝日では、予防接種を受けていない、ある会員さんの免疫レベルが、一般の人の30倍以上あったという話で、
浄霊の素晴らしさを再認識し、
・(?おひかりなし?の浄霊の奇跡)
協会に入会出来て、ありがたいという思いだけで留まるのではなく、
入会は始まりであり 、このお道を人にお伝えする事が会員の使命であり、使命を果たさなければならないというお話でした。
今回再開される新聞配布のご奉仕も、新たな気持ちでお使い頂だこうと思いました。
(教団 批判している訳ではありません。個性だと思いますが、 ここでも入会できてありがたい、 新聞配布のご奉仕も新たな気持ちでお使い頂だこうと思いました。
とありますが、お使い頂くとあります。
まず神様にお許し頂くと、神慈秀明会では 言いますね。 良い悪いは別として、
これは それぞれ 教団の 個性として 批判は出来ません。) ・(これは昭和24、5年 のお話だと思うんですが 、旭川から列車を乗り継ぎ、片道50時間かけて、毎月ご面会を頂きました。)( これも古い信者さん先生だと思うんですが)( 色々と日常の 教団の信者の 姿勢がそれぞれ違っていて 、神慈秀明会に対しては ここが徹底していると思ったので、ちょっと書きましたが、 言葉足らずだったと思います。)
「 昭和26年1月に、
支部のお許しを頂いて、
初めて月次祭の御神体を、させて頂いた時の事です。 急に私は寒気がして体中が震えだし、田辺会長より御浄霊を頂だいたのですが、その時に夫の霊が私にかかったのです。 夫の霊は「 自分はソ連に抑留された。
寒さと飢えのため、餓死、凍死をした。
やっとの事で、(霊として)内地(日本)にたどり着いたが 、
実家には仏壇がないので、居場所がない。どうか仏壇に入れて欲しい。位牌を作ってほしい。」と、
切々と訴えたのです 。その頃仏壇は夫の実家の しずまの家にあるには、あったのですが、 妹たちは 京都に移動したために、空き家だったのです。
それで私は仏壇と位牌を作ることを約束し、善言讚詞を奉唱しました。
すると夫の霊は「楽になった」と言って離れていきました 。その次に夫の 父の霊が出てきて、「今日は嬉しい。良いことをしてくれた。どうか山口家を頼む、おじいさんが霊界で協力をしてくださった。
よくぞ ここまでになった。喜びに来た」と言われました 。私はそれまで夫はいつかは、元気で帰ってくると思って頑張ってきましたが、そのことがあってからは、未練を捨て、霊界人となった夫の霊籍の 向上専一に供養と事考え、仏壇をしずまの家から持ち帰り 、位牌も作り、
お屏風観音様をお迎えして、それまでのお詫びを申し上げた後、日々供養をしました 。
そしてその時の夫の霊が申した事が、事実であったことを後日知らされたのです 。(後略 )」(MOA 東方の光の方ですね。 山内英子さん)・( この方は古い信者さんで、※お屏風観音様、まだ明主様御在世当時ですね)
( 御奉斎のお許しを頂いて、とあります。)
東方の光の方が初めて明主様に、
ご面会 された時、「 私は初めて明主様にご面会の、
お許しを頂きました 。真っ白な御頭髪に、ほんのりピンク色のお肌が印象的で 、その時の明主様のお姿が、今なお、私の心に焼き付いて離れません。」
と、あります。 早川啓二さん、古い信者さんです。)
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