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明主様
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渋井総斎先生の大先生
これは「明主様を想う」、 世界救世教「いづのめ誌」の一コマです。(堀籠 さんの投稿)抜粋、
「 宝山荘の門をくぐると、駆け出したいぐらいにも、心も、はやり、皆さんと会って、一緒に ご用させていただくという毎日でした。 そんな日々の中で、どうしても大先生(明主様)というお方に、お目にかからせて頂きたいという思いは、募る一方でした 。
そしてある日、とうとうその旨を渋井総斎先生に申し上げましたら、先生は笑いながら 「あなたは まだ 、何もご用してないし、今は先生達のみが、ご面会を許されているのだから、とても無理だ。」とおっしゃいました。
私が今さら申し上げるまでもありませんが、渋井先生は大は、土地、建物、小は大先生の身の回りの品々、シーツ、下着、その他全てのもの(と申し上げても良いかと思います)大先生が必要とされる時、必ずお調(ととの)えになり、献上なされました。(ただし渋井先生のご生活は、質素なものでした。)
(中略) それは終戦 昭和20年8月15日直前の夏の日のことです 。(中略 )奥様が突然私の方をご覧になり、「まあ、あなたせっかくいらしたのに、今日はあいにく日曜日で、ご面会は、ないのよ。でもね、大先生は今お庭づくりをお始めになられたから、お目にかかりたければ、どうぞお側にいらしてごらんなさい。」とおっしゃるのではありませんか 、(中略)
「 いいえ、とんでもございません。こちらで待たせて頂きますと言ってしまいました。
それから しばらくして 突然、私の耳に衣ずれの音が聞こえたような気がして、 ?どなたか いらししたかな?と思う間もなく、トントンと 段を降りて来られたのは、右の手に丸い形の花鋏を、持たれた大先生でした。スツと「二月堂」の向うに立て膝のままで、
じっと私を見据えて、『あんた、歳いくつ?名前は何て言うの?やっぱり渋井ところで入信したの』と矢継ぎ早に ご下問になられたのです。(中略) すぐに奥様が私の持参した献上品の事を、大先生に ご報告なされますと、『ああそう、それはどうもありがとう。私はね、今大変忙しいのでね。これで失礼しますよ。』とおっしゃって、お部屋を出て行かれたのです。
何の前触れもなく、一瞬の出来事でした。?何という気品高く貴い、 お優しく 温かい大先生であろうか?。気がつくと、そこに 平伏している自分の姿が、ありました。」
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