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明主様
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分けるべし
お光り、と浄霊力は分けて考えるべきであるという、のは、
これは分けて考えられない。ことは一対であるということを書いてあるんですね。
想念というのを 最終的にはそうなんですが 、
それでなければこれは書かれていないと思います。
お取り扱いこれは、御神体として神慈秀明会では、
おひかりもお取り扱いする、小観音、小明主様というんでしょうか、
ここをないがしろにしてきたと思うんです。
世界救世教は、 神慈秀明会は髪の毛が一本入っても、神様にお詫びして、また新しく御霊入をさせて頂く
、それだけ、ご神体と同じ想念で、お取り扱いをするので、
お光が強いと思います。
そこを、当時の幹部の人たちが 、
だん々 いい加減になってきた。そしてメダルになった。人間の都合に合わせているんですね。
絹の袋なんか入れたら煩(わずら)わしい。
汗が入って汚れたら袋を取り替えるのは、煩わしい。メダルの中にフィルムで入れてしまえ、
神慈秀明会は神様に合わせているんですね 。
そこはもううやむやになってきて、麻痺している。
そこで、そういう言葉が出てくると思うんです。
それはあまりにも厳しいんじゃないかと 、当時は秀明から離れていく人もいました。
またみ教えを研究してる人も、神慈秀明会から距離を置いて、み教えを見て、髪の毛が入ってお詫びなんてことはないと、
秀明を批判していましたが 、私はそれだけ神慈秀明会は 明主様 御在世当時以上に、
神様を高く掲げるという姿勢(想念)を言ったと思うんです。
それで神慈秀明会のお光が強いのは、そこに要因があると思います。
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