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明主様
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主神様は、1柱
それぞれの教団があって、それぞれの価値観があっていい。
各人、各団体ごとにミッションがあるからだ。
しかし、主神様の意思は1つ。
明主様は、教祖として、初代教主として、主神様の意思に仕えてきたと思う。
ユダヤ教は、ユダヤ人の救いに集中したから、
キュロス2世をメシアとする発想が、一部のようだが、生まれた。
イエスは、ユダヤ教の価値観から外れた人、つまり救われないと断定された人にも
救いをもたらした。
だから、イエスをメシアとする発想が生まれた。
ユダヤ教は、イエスをメシアと認めないし、新約聖書を認めない。
キリスト教は、タナハも、新約聖書も経典とすることができる。
キュロス2世も、タナハも、新約聖書もすべて、主神様の意思の下で作られたものだ。
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