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明主様
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天地は崩れても
天国はできる。
この聖言を、拡大解釈すると、
教団はなくなっても、天国はできる。
人体はなくなっても、天国はできる。
ともとれる。
そして、 「代わりはいくらでもいる」と結んでいる。
教団も、人間も、あなたが行かなくても、天国に行くものはいくらでもいる。
なぜなら、主神様は代わりの教団、人間はいくらでも用意できるのだからと
いう意味ではないのか。
総じて温厚な明主様なんだが、ことメシアの部分に関しては、
やたら厳しいんだよな。
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