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明主様
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明主様の前世と観音
今み教えを整理していたら、面白いものが出てきました。
明主様はご自分の前世を、源 義経であるとおっしゃっています。
これは一般の雑誌からです、
(抜粋 )、 行く手を 海が 阻(はば)み、容易に渡ることを許さない。
「義経は、そばにあった巨岩を、見上げ、その上に あがって、観世音の像を置き、菩薩の霊を借りて、
渡らせ給へと一心に祈願を始めた 。従者もこれに従う。
三日三晩祈り続けた暁に、菩薩は白髪の 翁の姿で、主従の眼前に現れ、
「汝(なんじ)の至誠に感じ、 ここに、龍馬三頭を与うるなり、これに乗りて、渡るべし」と言って消えた。 海峡の 高い波も 強い風もおさまっていた。
文治5年、源義経、きゆう岩の岩上に観世音 を安置して、エゾへ渡る。
寛文7年1667年 僧、円空巡錫木造を 刻み、胸に観音を 籠(こ)め、御堂 を建立。 円空がエゾ地から帰途、
この浜に出て歩くうちに、 岩上に妙なる輝きを見た。
そこには義経が置いていった、白銀一寸二分の観音像があり、これに心を動かされた円空は、打ち寄せられた一本の流木を取り上げ、一体の仏像を刻み、胸の中にその観音像をこめた。
この仏像が義経寺の御本尊であると言われる。」
また以前 、
聖徳太子の 座像が発見され、レントゲンで腹中に聖観音が 収 められているのが、映っていました。
そして、光明皇后 の逸話として、
「 みあとしのびて」 (森山 実太郎 著) 、にあります。
抜粋、「今一つ、この寺には唐(から)風呂の伝説と、旧跡がある。
《伝説に見る、光明皇后》
それは信仰者としての、慈悲と忍辱(にんにく)の権化とも申し上げねばならない。
皇后はここに、浴室を建て、千人の垢(あか)を流すという願いを、み仏に誓われたのであった。
そして999人を終わった、満願の日に、全身、膿(うみ)にまみれた一人の人間が皇后の前に現れた。
「自分の病気は人の口で膿を吸ってもらえれば、治ると言われているが、 誰も嫌って肉親すらも寄り付かない」と、 嘆くのであった 。
決心された皇后が、その ライ患者の膿に唇を触れられた。その途端にライ 患者 は消えて、
観世音菩薩の尊い み姿と化したという。」
そして今度は、岡田茂吉と生まれられ 、後ろに観音様がお立ちになられている。
本当に不思議ですよね。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0001939.jpg
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