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明主様
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二代教主
二代様のお人柄、 これは 「 景仰」 に書いてあります。 《枕を持ってこい 》
明主様が東山荘にお住まいの頃です 。お揃いでお出かけの際に二代様が、お化粧をなさる間、明主様は納戸の所で待っていらっしゃいます。
二代様のお化粧が長くかかると、明主様は 『枕を持って来い。』とおっしゃって、枕をお持ちすると。そこで寝てお待ちになるんです。
面白い明主様でした。(側近奉仕者)
金子 久平氏の書かれた 「明主様(きみ)に仕えて50年」の本に、 東京へのお供で、「 お車が熱海を出発すると間もなく、車中の明主様と 二代様が、 洒落(しやれ) の 掛け合いで、いつの間にか楽しく東京の目的地にお着きになりました。
洒落 の掛け合いの合間に二代様が、「 ネエ、先生 、金さんの口元が可愛い」と、おっしゃると明主様は、『そうね』とおっしゃっておりました。(中略) 二代様は 明主様にお召し物を選んで頂き、ご満足の様子でしたが、
何を思われたか、フッと、お立ちになり、反物を持って部屋から出て行かれ、なかなかお戻りになりません。 明主様は私に『金さん、奥さんの所に行き、明主様が、『ハイ、サヨウナラと言っている』と言って来なさい。』とおっしゃられました。(後略)」
◆( 自由奔放な 二代教主のご性格が、見れます。)
明主様は、何でもスピーディーに 江戸っ子らしく 、立ち振る舞われますが、二代様は全く正反対であられたと お見受けします。
( 経(火)緯と、(水)ですね。)
◆
そして思うのは、 明主様、御昇天後 、当時の理事長であった木原氏 に対し、 二代教主は、これからの教団運営を相談。
明主様と正反対の性格であられた 二代教主 、上の文で お分かり頂だけると思いますが、
この御性格で教団を どのように持っていくか。
◆
「明主様 御昇天後、二十日祭の時に管長は 来なかった 。木原氏が上座に、お祭りが済みまして 、奥様が宣言。「明主様はエンジェルであった 。明主様はご自分では神だとは、おっしゃらなかった。 今後そういうつもりでやりますから、どうぞよろしくお願いします。」 と言われた。
私はワツ!と、思いましたので、顔がサッと変わったらしいんです。(中略) 二代様が会ってくれと言われるので、10日の朝 熱海に着きました。
会うと、始めから私をごまかそうと思っている。
ニヤニヤ笑って、
「私がエンジェルなどといったから、怒ったのでしょう。あの時は顔色がサッと変わったわ。」(中略)「 明主様は主神だと言っていいと、しかし御肉体までは主神とは言われない。」
(木原)「 そんなことは言われなくても、私も思っています。 主神が生きたり死んだりする訳はないし、主神は肉体を持って出られないと、み教えにもあります。
ただ明主様のお腹の中には、主神が降臨されて、御経綸されたまでだ。それで主神だと言っても 、よございます。
だから御神体は明主様※(御写真)を拝んで、それでいいのですと」、
二代教主は、 「それだけは勘弁してほしい。明主様がお書き遊ばした、五六七(みろく)様の姿を通して、拝み、
明主様を、※「教えみ、親や、主の神」として、拝めばいいという話だったのです。
◆
写真を御神体にはしない。 写真は御神前から 外して、「教えみおや主」としてこれから唱える。( これを神慈秀明会では今も採用)
メシヤ降誕仮祝典で、明主様は これからメシヤになって 御神体は御尊影になる。 型を示された。
ここですね。 教団幹部と、二代教主はこれはさせないと 一致していた。
ここで木原氏は 離脱を決心。
ここを「 渋井文書」は、木原氏は 自分が教主の座を狙ったが、叶わなかったので離脱をしたと書いてあります。
ここだけは、私は渋井文書は正しくないと思いました。
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