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明主様

18941番:2021/05/24(月) 15:13:41
二代教主
二代様のお人柄、 これは 「 景仰」 に書いてあります。 《枕を持ってこい 》
明主様が東山荘にお住まいの頃です 。お揃いでお出かけの際に二代様が、お化粧をなさる間、明主様は納戸の所で待っていらっしゃいます。

二代様のお化粧が長くかかると、明主様は 『枕を持って来い。』とおっしゃって、枕をお持ちすると。そこで寝てお待ちになるんです。
面白い明主様でした。(側近奉仕者)
金子 久平氏の書かれた 「明主様(きみ)に仕えて50年」の本に、 東京へのお供で、「 お車が熱海を出発すると間もなく、車中の明主様と 二代様が、 洒落(しやれ) の 掛け合いで、いつの間にか楽しく東京の目的地にお着きになりました。
洒落 の掛け合いの合間に二代様が、「 ネエ、先生 、金さんの口元が可愛い」と、おっしゃると明主様は、『そうね』とおっしゃっておりました。(中略) 二代様は 明主様にお召し物を選んで頂き、ご満足の様子でしたが、
何を思われたか、フッと、お立ちになり、反物を持って部屋から出て行かれ、なかなかお戻りになりません。 明主様は私に『金さん、奥さんの所に行き、明主様が、『ハイ、サヨウナラと言っている』と言って来なさい。』とおっしゃられました。(後略)」
◆( 自由奔放な 二代教主のご性格が、見れます。)
明主様は、何でもスピーディーに 江戸っ子らしく 、立ち振る舞われますが、二代様は全く正反対であられたと お見受けします。
( 経(火)緯と、(水)ですね。)

そして思うのは、 明主様、御昇天後 、当時の理事長であった木原氏 に対し、 二代教主は、これからの教団運営を相談。
明主様と正反対の性格であられた 二代教主 、上の文で お分かり頂だけると思いますが、
この御性格で教団を どのように持っていくか。

「明主様 御昇天後、二十日祭の時に管長は 来なかった 。木原氏が上座に、お祭りが済みまして 、奥様が宣言。「明主様はエンジェルであった 。明主様はご自分では神だとは、おっしゃらなかった。 今後そういうつもりでやりますから、どうぞよろしくお願いします。」 と言われた。
私はワツ!と、思いましたので、顔がサッと変わったらしいんです。(中略) 二代様が会ってくれと言われるので、10日の朝 熱海に着きました。
会うと、始めから私をごまかそうと思っている。

ニヤニヤ笑って、
「私がエンジェルなどといったから、怒ったのでしょう。あの時は顔色がサッと変わったわ。」(中略)「 明主様は主神だと言っていいと、しかし御肉体までは主神とは言われない。」
(木原)「 そんなことは言われなくても、私も思っています。 主神が生きたり死んだりする訳はないし、主神は肉体を持って出られないと、み教えにもあります。
ただ明主様のお腹の中には、主神が降臨されて、御経綸されたまでだ。それで主神だと言っても 、よございます。
だから御神体は明主様※(御写真)を拝んで、それでいいのですと」、

二代教主は、 「それだけは勘弁してほしい。明主様がお書き遊ばした、五六七(みろく)様の姿を通して、拝み、
明主様を、※「教えみ、親や、主の神」として、拝めばいいという話だったのです。

写真を御神体にはしない。 写真は御神前から 外して、「教えみおや主」としてこれから唱える。( これを神慈秀明会では今も採用)
メシヤ降誕仮祝典で、明主様は これからメシヤになって 御神体は御尊影になる。 型を示された。
ここですね。 教団幹部と、二代教主はこれはさせないと 一致していた。

ここで木原氏は 離脱を決心。

ここを「 渋井文書」は、木原氏は 自分が教主の座を狙ったが、叶わなかったので離脱をしたと書いてあります。
ここだけは、私は渋井文書は正しくないと思いました。




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