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明主様

18201番:2021/05/19(水) 12:18:50
違いとは。
これは8年ぐらい前の話で、いや、それ前 後ですか 、
ビデオで録画しているので、それを今度 DVD に焼き直さないけないんですが、 木原先生の下でご奉仕された 人は 、色々お話をされたんですが、一つ記憶にあるのが、 坂井先生についての事だったんですが、
これが具体的に はっきりとした事、 思い出せないんですが、
世界救世教いづのめ教団 が出している「先達の人々」を見て、また岡田茂吉全集の付録本を見て 、調べたんですが、私も坂井先生の事を、まずよく知らないので、
それがどういう内容だったかという事を、はっきり言えないんです。ただ記憶にあるのが、
?これは違う?と、言われたからですね。
これが何だったのか、これは当時 録画していますので、それがその中に入っていれば分かると思うんですが。
先達の人々の中に199ページに
岡田式指圧療法の名のもとに続けられてきた、
治療 も、お守りを授ける講習も、それ以後は弟子たちに代行させる事となり、昭和16年2月の立春の日から 実施される事となったが、

代行許されたのは、中島一斎、 渋井総斎、坂井多賀男、木原義彦、 荒谷乙松、川上 吉子の6名であった。
(中略)
日本閣の祝宴が 発端 となり、 中島一斎のグループでは 各自、毎月5円の会費を出し合い、お互い同士の 親睦を図る「飲み食い会」が生まれた。
教祖にこんな会を開いて、みんなで楽しんでおりますと話したところ、教祖は『 そりゃいい。皆鼻っ柱の強い、天狗ばかりだから、天狗会 にしたらよかろう。』 と言ったので、早速会名とした。

ある時、教祖から『いつまでも天狗では具合が悪い。これからは天国会に、しなさいと言われた、』頃から「天国会」という名称が決ったと言う。

会名 主管者 氏名
・十一(とういつ)会、(後に「天国会」と改称)、=中島一斎

・ 大内会(後に「日の出会」「五六七(みろく)会」
と改 称)= 渋井総斎
・ 大和会 =坂井 多賀男
・ 東光会= 森山卓司
・進々会(後に神進会と改称)=荒谷乙松

しかしここに、木原氏の名前が、書いてないというのが、やはり教団を 離脱していった、。理事長までして 後ろ砂をかけて 行ったと言う 、教団関係者の立場から見えたのかもしれません。
これは分かりません。
これは後の木原氏が離脱した後、 救世教 から400枚の抗議文が来たとありましたので。

また 「先達の人々」の中では 坂井氏は専従2年後の昭和16年 大和会の主催を許され、大勢の資格者も生まれたが、昭和24年以降は、木原義彦に従って、九州に移ったとあります。
ですから、木原先生の 下にあるという事でしょうね。

今 本 を見ているんですが、
とにかく坂井先生に対しての何か 救世教は違う事 言っていると言っていたので、 そこを覚えているんです。
ちなみに川上吉子とありますが、
これは神慈秀明会 小山会主様 が、ご指導を受けられた先生です。
また私が当時その人に会った頃は、80歳を過ぎた頃でなかったか、 もう 今生きてられるなら 89歳ぐらいなるんではないでしょうか。 何年か前に聞いたら今、 アルツハイマーが入って、老人ホームに 入所と聞いていました。
その方が言っていたのが、ご自分は菅原道眞の子孫であると、 菅原道眞も 太宰府天満宮の天神様も 神界で明主様のご用を、 されていると 思いました。
以前、前会長が会長になられる前にお会いした時に、 木原先生の 元でご奉仕された、 伊集院さんという人の 名前を言ったら、知らないとおっしゃっていました 。
その前の会長先生とは年齢も近いのかよく知っているという事で、 伊集院さんが 私が一緒に当時 木原先生のお墓を、お掃除に行ったことがあるんです。 これを大変喜んで今度当時の会長に
合わせてあげるとおっしゃっていましたが、 そこでこのような貴重な お話は、今の会長先生もおそらくご存知ないかもしれません 。なんとかこういうものも 集めて残されていたらと思うんですが。 後になってみたら人類の遺産ですよね。




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