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明主様
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(無題)
>木原 氏がメシヤ封殺を企てた中島氏の次の重大な 責任があるというのは、渋井文書にありますが
という部分があるとは、気にも留めていませんでした。
例えば、昭和22年12月23日の件の段取りを、木原氏がしたということをどこかの書き込みで読んだと思いますが、その段取りに誰が関わったのか?
と考えますと界隈の状況がなんとなく見えます。
明主様が六合大氏に期待し、ダメなら次を作るという話が渋井文書にあったと思いますが、さすが奥さんはそれを嫌がった。
それにつながることとして、嘉丸氏は救世教の教主は三代で終わりということを会話の部分で出されています。
渋井文書の部分について、嘉丸氏から頂いた冊子は父の死の部分でしたから、御用の人を含めた下書きは、初めからあったと思います。実際片瀬江の島での明主様御講話の部分を含めたいくつかは嘉丸氏の資料のタイプし直し少しした私が打ち込んだ物もあるはずです。
しかしながら、私の受けた印象では、救世教が失ったものの大きさのことでして、分裂騒動の頃に出た醜聞、情報には今思えば岡庭情報もあったし、御光話録もあった。
だから、渋井本の、文書を含めて3冊からは救世教の御神業は、メシヤ教のそれとは別モノということを知らしめるモノで、他の先達の著書からは本質は見えず、一部金子氏の退職金の話が知られているくらい。
実際渋井文書の問題部分は渡辺勝一氏の部分で、他の批判部分はほとんど気になっていなかったのは、私にはそういうことにあまり興味がなかったのか、それともそういう否定情報になれっこになったために、渋井先生の功績であるとか、信仰姿勢に頭脳が寄せられたのだと思います。
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