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明主様
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木原先生、1
新健康協会 教長様お導き集『第一集』からです 。
?????????? (昭和30年(1955)3月21日 )
???? ( 佐賀県鳥栖市 世界救世教、光宝大教会本部)
「思い出してみますと、26年12月7日に鳥栖を発ったのですが、 12月8日に熱海につき明主様にお目にかかって、 今度は本部でお使い頂く事になりましたので何卒、ご 守護 お願い申し上げますと申し上げた時に、
ジェスチャーよろしく明主様が『あのなあ、今度はしっかりやれ。』と私に仰しゃった。
しっかりやれと、お言葉頂きましたが、まだ会は色々と分かれているし、どうして、それを一つにまとめていくかという事や 、ここは今 少しこうしておこうかという事で、常に明主様を念じてやらせて頂いたものです。
明主様の御昇天は10日(昭和30(1955)年2月)になっていますが9日と言ってもいいのです。
9日の午後2時過ぎに梅の花をご覧になって
『花が綺麗だな、』とおっしゃってガクッとなさって、それ以来というものは御意識は、もうほとんどあられなかったのだから、9日に御昇天なされたとも言えると思います。
私が今日 汽車の中で考えてきたのですが、丸3年 3ケ月本部の御用に携わった。
その間のあらゆる 御経綸上の事は、 私が一人でやったと言っても過言ではありません。
おかげで3年3ヶ月の間、何の不自由もなく、心おきなく御用をさせて頂けたという事は、神の御守護は勿論ですが、皆様の誠の結晶 だと感謝します。
人間というやつ 体的な執着というものは、どうしてもあるものです。こうすれば、はこうなると思う事の
やれない時の辛さ、しかし また、今度ぐらい神様のお力を頂いている者には、実にどんな時でも
?大丈夫だ?という事を感じさせて頂いた事はないのです。
御昇天 になる少し前までに、全国を回りまして幹部から会長 、資格者 全部に私はこうすべきだという事を述べ伝えたのです 。
全部の幹部が「どうぞ、よろしくお願いします。」と言ったのが、今は体主霊従になりきったようにしています。
実に 九分九厘 と 一厘 と言いますが、 戦いというものは続くものだなあと思っています。 今 彼らが私に対する批評批判は、
あまりに厳格すぎるとか、一本気だとかで道理に合わないのです。
神様は通理の上にお立ちになる、それからこれは根本からお話ししておかないと、分らないのですが、 御昇天遊ばした次の日の11日です。
「今度は奥様を二代様としてやっていこう、明主様はかねがね、そうした事を仰しゃっていた。」と松井(顧問)という男が私に言った。
明主様はそんな事を絶対に言われる訳がない。
それなら御神書から作り直さなければ、ならない事になるのです。
只、後を体的に上手くやろうとする気持ちが、そういう事になる。しかし「今のところ。そうするより他にないだろう」と言ったのです。
その時私は「明主様の御教えは断然曲げられない。
※御神体も写真にすべし」という事を言ったのです。
ところが奥様を二代様として頂くと言った 口の端から、
「度々のお話に、そうお話も続かないだろうから。自分がみ教えの解読をやっているから、
それを通して二代様に、この範囲から出ないようにやらせようではないか」という話が出たのです。
だから私がそれは違うではないか、「二代様を推戴した以上は、何やかれやと指図がましい事を、する必要はないではないか。」
「で、もし、二代様が嘘を言われたならば、自分が出ればいいじゃないか。
そこは自由だ。二代様を立てた以上は、かくすべし」、と言う筋合いではないと、私が主張しましたら、それから大きな声になった。
明主様がお隠れあそばして二日目に、大きな声をして議論する訳に行かない。まあ、
そんな事は後でよろしいと思い、私は何も言わなかった。
( ここに渋井文書でしたか、木原氏も二代様推戴を 認証したではないか 。そこで 自分が後を継ぐ 魂胆が 破れたから、離脱したとありました。本当の気持ちはこれに書いてあります。認証でなく今 は言わない。 ※ここからお写真がご神体というところが 、焦点になってくると思います。 み教えを曲げるは、写真をご神体ということを通した。しかし周りは反対をした 、ここが道理に合わないと、木原氏は仰ゃっています。
これが木原氏が離脱をされた 要因と思います。)
?????????? (一番)
それから やっと 御 昇天 祭の準備にかかりましたが、(続く)」
◆
この文章を読むだけでも、木原先生のお人柄というのはよく分かります。
頭が固いとご自分で仰ゃっています。一本気というんでしょうか、 言葉は悪いですが バカ 正直と言うんでしょうか 。 (ご遺族、 教団関係者には申し訳ありません)
そして3年3ヶ月、明主様の側で御用をされ、その時に次の教主に奥様をとは一切 仰ゃっていないと 、述べられています。
幹部達はそういう事をおっしゃったと、
最高幹部で 一番 お側におられた
木原先生がご存じないというのも、
ここは分かりませんが 、そして
??奥様が 二代として指導する時 、み教えから外れるような事を言ったら、手し直してやればいいと 、
話は続かないだろうからと。
そういう会話というのは、奥さんは明主様 御在世、
当時から 御神業とは関わっておられなかったようですから 、それはあったかもしれません 。何か当時の混乱が 見えてくるようです。
そして この時から木原先生は明主様のお言葉通り、「ご神体は、お写真にすべし」と、断固として仰しゃっています。
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