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明主様
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渋井文書と、川合輝明氏
さてこれまで渋井文書を 書かれた当事者から見てきましたが 、今度は天国会の木原先生の後、 重要な 働きをした、東方の光教団 創始者 川合輝明氏ですね。
以前 、川合氏が??書かれていたものから投稿させて頂きます。
◆「(み教え)
『 本年( 昭和25年 )2月4日立春の日を期して標題 の如き 宗教法人世界救世(メシヤ)教の創立出現とになったのである。
これは非常に重大な意義があり、もちろん神の深き み旨に によるのであって、人間の意図でないことは今さら言うまでもない。いつも我らが唱えるところの霊界における夜昼転換の 時期にいよいよ入ったからである 。
(中略) 霊界が昼となる以上これが現界に移写するにおいては、夜の文化は当然不要なものは滅び、有用なもののみ残る事となるのは当然である。(後略)』
???? 《先覚者及び功労者の御霊へのご報告》
?????? 川合理事長指導(平成13年(2001)2月10日)
????????????????(前略)
明主様は昭和25年 2月4日の世界メシヤ教の創立にあたり、それまでの御神業の飛躍的な発展に尽くした「日本観音教団」と「日本五六七(ミロク)教」を発展的に解消され、明主様 御自ら教主てとして、組織の中心にお立ちになりました。
その新しい出発点に際し明主様はこの事にかかわる御経綸上の神秘を明らかにされました。
それはすなわち神定めによる経 緯(たて、よこ)の御経綸とその働きについてであります。
明主様は中島一斎先生を経(たて)の御経綸を担う指導者として、 渋井総斎先生を 緯(よこ)の御経綸を担う 指導者として 、 お二人の 高弟を軸に、御経綸を進められました。
両先生は明主様を求めるが故に、 徹底 した浄霊による奇跡を通して、救世主 明主様への絶対の確信と共に、明主様との因縁使命を深く自覚され、ご自身は もとより、ご家族共々全ての資産を投げ打って、明主様に捧げ尽くされました。
中島一斎先生は明主様を救世主として最初に発見した事を無上の喜びとされるが故に、進みゆく明主様の御経綸を常に求め、
その後 生涯を通して明主様に順序礼節を持って、尽(つく)し切る信念に燃えた多くの人材・(木原、樋口他)育成に、ご尽力されました。
渋井先生は 箱根神仙郷や、熱海瑞雲郷を始め、明主様が建設に必要とされた悉くに対し、自らの使命を覚り範を示す事によって、多くの後継者・(小山美秀子他)を育てつつ、明主様のご期待に徹底して応えられました。・( 渋井氏 資産 拠出 の尽力が書かれていない)
それゆえに明主様が中島一斎先生、渋井総斎先生を経緯(たて、よこ)の御経綸上なくてはならない要(かなめ)の指導者とされ、『二人は車の両輪である、その一つが欠けても車は動かない。自分はこういう立派な、ふたりの神柱を持つ事ができた』との万感こもる、お言葉を述べられた事も頷けるのであります。
(中略) しかし皆さん方に所信を表明する前に、中島宏平君がこの壇上に立って、明主様と中島一斎先生、明主様と渋井先生の事を、実に大から小にわたり、鮮明に 記憶されています 。 中島宏平君は、中島一斎先生の孫にあたる訳です。
血のつながりを強く持つとともに、かつ現在の東方之光 MOAを 担う前途有為な、青年指導者として活躍しております。(中略)
世界メシヤ教を創立される時に日本観音教団と、日本五六七教を解散される訳です。
明主様のご意図でもあったのですが、お二人の指導的立場にある 両先生は進んで明主様のもとに全てを捧げて帰一される訳です。それだけならこれも、めでたし、めでたしという事で終わった訳です。
ところがその年の1月31日に、中島一斎先生は脳溢血で突如、※昇天・(天国にのぼる)されました 。
私は天国会の指導者の一人としていましたから、
その当時の状況をよく分かっている訳ですが、
また折を見て話ができる機会も、あろうかと思いますので、省略させて頂きますが、本当に目の前が真っ暗になりました。
後を継ぎになった中島 暉世(きせ)子先生(奥様)と、どのように対処して行くかという事で、 教会の事は後回しにして、ずっと熱海に住みまして、中島暉世子先生と共に対応したのですが、分からない事が多々あるのです。
それでどうしても明主様にお伺いしなければ、決まらないという事になって、では私が明主様にお願いするからというので、中島暉世子先生は私を明主様のところへ連れて行って下さいました。
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