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明主様

15811番:2021/05/22(土) 00:11:39
メシヤ様御神影に参拝
これは、新 健康協会 、新会長講話から一部紹介 、
御神書『 浄霊と幸福』拝読
(前略)
( マスクは必要 以外は外すべき)

「マスク着用 1時間後から、脳の記憶 を司る 海馬 の細胞が死に始め 、長期使用で 認知症や 子供の発達障害 の危険が出てきます 。人の表情が読みとれない事から、
小児には重大な精神発達障害、
コミュニケーション障害 が懸念されます。
ドイツの神経科医の ブリッ ソン 氏の 証言 より
一部抜粋 、
マスクは 子供の脳から 酸素を奪います。 現在のように 子供達の酸素を制限する事だけでも、

絶対に犯罪的なのです。 それによる脳の損傷は 元に戻す事は出来ません。この 医学者の警告 の最も怖いところは、 その影響が出てくるまでには、20年も30年もかかる という事です。
すぐには出ないんです 。そして出てきた時にはすでに遅い とも言われています。
これは大人にも、同じ事が言えるのです。

マスクによる酸素の不足が人間の脳に影響を与えると警告が出ているのです。


おかげさまで明主殿の瓦の葺き替えが、 今月いっぱいで完成の予定でございます 。支払いの方も 会員さんの誠の献金のおかげにより、滞る事なく 済ませて頂いております。 神様への献金は多くの徳 積みと言われますが、 4月後期の時点で改修工事の献金が〇〇〇〇円を 突破しまして(後略)
明主様のお言葉に『お金の御用をするというのは、それだけ罪を減らすんですから、 無理をしない限り、出来るだけ沢山したほうが、早く?めぐり?が取れる訳です。
そうすればそれだけ苦しみが減るのと、 あべこべに徳が多くなるんですね。
私は今まであまり言わなかったですが、 神様にあげたお金は 、何倍にもなって返るんですよ。
目覚ましいものです。 これは経験すると分かりますよ 。』と仰っしゃっておられます。(後略)

これから私の話しを少しさせて頂きたいと思います。

私は昭和26年 福岡県大牟田市に生まれました 。10歳の時、父の仕事の関係で 福岡県宗像郡 福間町に 転居 しました。
それが私の運命の大転換になりました。引っ越していったところが、 ちょうど会員さんの隣 だったのです 。隣の奥さんが 母と同じ年齢でしたので 、母はすぐに仲良く なりました。
当時39歳だった母は 隣の会員さんから 浄霊の話は当然 聞いており、 引っ越した 最初の頃から 知っていたのです 。しかし浄霊を信じる事はありませんでした。 それから9年後 昭和45年の暮れ 、私は19歳の 時 、48歳の 母は 心臓病で苦しみ 、お医者さんから 死の宣告同然の言葉を受けました。 絶望と共に 藁(わら)にもすがる想いになった母は 、浄霊の事を思い出し、 その会員さんにお願いし 香椎支部に連れて行ってもらい 浄霊を頂きました。
すると浄霊を頂きだした母は、 すぐに奇跡を頂き、 みるみるうちに変わって行きました 。今まで食べられなかったご飯も 美味しく頂けるようになったのです 。
絶望の淵で 真っ暗だった 母の心に、 わずかな一筋の光が見えたようです。
母はその時 嬉しさのあまり 、涙を流したと言っておりました 。浄霊を教えてくれた 友達に 、心から 感謝しておりました。 そして母が浄霊を頂き出して2ヵ月後 、昭和46年2月母と私は一緒に入会しました。
その日が私が香椎支部で佐藤先生にお会いした初めての日です。
その後私は、青年部として お使い頂だける事になりました。 それから6年後 昭和51年9月 25歳の時に奉仕者にならせて頂きました。
一週間 総本部にてお使い頂き、すぐに福岡支部に奉仕者教育を 命じられ、
3、4ヶ月経った頃 と思いますが、 夜の12時頃 渋田先生から 「あなた今から日田(大分)に 浄霊に行ってきなさい。」 と言われました 。
日田がどこにあるのかも知りませんでしたが、 「九州の地図があるから、 それを持って行きなさい 。」と言われました。 当時奉仕者が 床に就くのが大体、夜中の1時??2時 が 普通でしたので 、12時はまだ起きておりました 。12時過ぎに 軽自動車で福岡支部を出発し、あたりは真っ暗でしたが、 地図を見ながらなんとか 日田に着きました 。すでに夜中の2時頃でした。
公衆電話を見つけ、 その家に連絡しましたが、 娘さんが出られまして 、電話ボックスの所まで迎えに来て頂きました 。娘さんの父親が お腹が痛くて 布団に寝ておられ 、すごく痛いようで、うめき声をあげておられました。 まだご奉仕に上がって間もない 新米奉仕者 の私でしたが 、どこをどう浄霊させて頂いたのかも 覚えておりませんが、 40分ほどさせて頂きますと 、少し落ち着かれたようでした。 渋田先生に連絡させてい頂きましたら 、「家の人に小指の先ぐらいの おにぎりを 五つ 作ってもらって 、食べられるだけ食べてもらって」 と、言われましたので 、小指の先ほどのちっちゃいおにぎりですけど 、そうして頂きました 。
ほとんど食べられたようで、 その後3時頃 渋田先生にご報告させて頂きましたら、「もう1度浄霊をさせて頂きなさい 」と言われましたので 、すぐに2回目の浄霊をさせて頂きました 。おかげさまで、2回目は 座布団に座って浄霊を頂かれました 。表情も明るくなられ 、笑顔も見られるようになり、 声も出てきました。浄霊 させて頂いた私の方が、 驚くほど良くなって 行かれました。
渋田先生に報告させて頂きましたら「そおね、そうしたら帰ってきなさい 」と言われましたので、 4時頃 日田を出発しました。 明け方の4時に日田を出発しまして 、福岡支部に着く6時まで、 道中 約2時間 私は車の中で、 溢(あふ)れる涙を 抑える事が出来ませんでした 。私は 奉仕者になって本当に良かった 。
明主様ありがとうございました。明主様ありがとうございました 。と何度も言いながら、そして泣きながら 、福岡支部に帰った事を、今でも鮮明に覚えています。」(後略)


この新会長の体験談をお聞ききして 、感動しました 。
これは木原先生は 誤ってはおられなかったと 思いました。(一番)




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