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明主様
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渋井文書から、(伊勢御参拝)
18番さん 正直なとこですね 。 皆さんの想いを代弁してくださった 。神慈秀明会を語れば、 そのように思われる
右を語れば左が下がって、シーソー で、 バランスが取れない、結べない。
これが現状です。 もうやめます。
私は神慈秀明会の信者の立場で語りますから、皆様とは 折り合わないとは思いますが。
また違う視点で見るので、新しい発見があるかも知れません。
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その分かりやすいのが、天国会と、五六七会ですね。
話は戻ります 、渋井文書が書かれた当時の ちょっと前の 事でありますが、明主様が 神様の経綸を覚られる、神社巡り。
昭和15年から 官憲の弾圧で 治療を辞め一個浪人となったとあります。
この時は59歳の誕生日であった、 日本閣で誕生祝いをしてくれたとあります。
当時の お写真に、天国会 中島先生、木原先生が写っています。
それから 翌年15年5月 渋井氏以下数人※(五六七会)と、元伊勢神宮へ。
元伊勢から 約1100年前に 今の伊勢神宮へ遷宮で移られたとありましたが、天照大神は移っていない。
移る 途中で神輿が重くなって引き返したと仰いました。
それか今回 明主様が行かれる事で、明主様に天照が 憑かられ、今の伊勢神宮へ 、天照を お連れになる 型になる。
そしてその後、今度は中島氏 ※(天国会)数人を従え伊勢山田皇大神宮へ参拝、
この時に、天照大神が いよいよ昼の世界へ登場される、
スサノオノ神の支配から 、 霊界が昼に変わる 型であったと、そして 天国会と、五六七会を お使いになられました。
今 三重の伊勢神宮へ参拝される時は 、天照大御神様は御鎮まりになっています。
そして 明主様がここに 大神をお連れになった、重大な昼の型をここで示されたと 思って参拝されたら、
また 感慨であると思います。
( 明主様を信仰する人が参拝したら、大神は 歓迎されるのではないでしょうか、
これは独りよがりと、とられるかも知れませんが、 地元で伊勢神宮から御神体を 、お受けして祀られている 、九州の伊勢と言われる所があるんです、
そこに秀明の霊感ある人と参拝した時、天照大神様が 近くまでお出ましにと言っていたので、私はこれはあながち、嘘ではないと思いました。)
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