レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
明主様
-
渋井文書の背景、1
三五六会と天国会 の 闘争。
それを、天国 会??小川榮太郎先生が 書かれています。
「(前略)二代様が、 教主に就任された際に、 当時の理事長 木原義彦氏が、九州に明主教を作って離脱。 それに賛同する教会長が数人おりました。 また私の光陽教会からも木原氏に追随する支部長が出、 私に対しても再三に渡る勧誘がありました。
私の中にも心の迷いはありました。
しかし『お前は私の弟子だ、お前の先生は私だ、
なぜ、私に聞かないのか。』という生前 明主様からよく言われた。そのお言葉を思い出し、そうだ明主様に、お伺いしようと 私は思いたち 、
御昇天の翌3月、箱根の明主様の 御墓所へ参上したのであります。 御 墓 前 に座して、 「私は どうすれば良いのでしょうか、教えてください。」と何度も申し上げました。
しかし御墓前の松が、風に吹かれる音ばかりで、何事もなく ただ時間だけが過ぎていきました。 それでもご参拝させて頂だいた事で、何となく心が 和まれたような気がしました。
そして私が帰ろうとして歩を進めようとした時の事、明主様のあの 懐かしい声が、聞こえてきたような気がしたのです。ただ一言『私の書いたものを読め』との言葉でありました。 明主様は 『私は真理を説く』とおっしゃり、私たちにたくさんのみ教えをくださいました。
その時の私の心に?そうだ?み教えを読ませて頂こうと、パッと一筋の光明が差し込んだのであります。
私は 「ありがとうございました。ありがとうございました。」と何度も お墓前に御礼を申し上げて、箱根を後にしました。」
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板