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伊東静雄を偲ぶ
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ありがとうございました
Morgenさま
貴重なご報告を有難うございました。近くに住んでいたら、飛んでいきたいです。
思潮社の現代詩文庫の編集と解題を書いておられる藤井貞和さんは(源氏物語と日本語文法の権威でもあり、また、卓越した詩人でもあります)『夏花』を(現代詩文庫編集の当時は)頂点としておられましたね・・・
江藤淳が、『反響』の「夏の終り」を読んで感動し、自分は文学を志すことになった、というエッセイをどこかで書いていたように思うのですが、乱読しているせいか、出典がわからなくなってしまいました。『伊東静雄研究』に再録されている「伊東静雄随想」の中では、感銘を受けた、ということは書いているけれども、文学を志した、までは書いていないので、あるいは私の勘違い、なのかもしれませんが・・・(どなたか、御存知の方がいらしたら、教えてください!)
ここのところ、必要があって二つの「夏の終」について再考しています。以前、上村紀元さんに(戦時中の「夏の終り」は)昭和15年初出、という「事実」と、大谷正雄の著書という出典を教えて頂いたのですが、それに関連して、山本皓造さんが、平成元年の『定本 伊東静雄全集』の月報に、初出年の訂正がある、と教えてくださいました。その経緯を知りたいと思って人文書院に質問状を出したところ、以下のような事実が分かりました。
当時のことを詳しく知る者が既に社内に居ない、とのことではありましたが、1961年の初版、66年の増補改訂版、71年の完本(最終は1989年の7刷)までの累計で1万部を越えていることを知りました。
刊行記録は以下の通りで、「夏の終」の初出が訂正された月報を有する7刷は500部と少ないので、周知されなかったのでしょう。粘り強く資料の発掘や研究書誌の集約などに従事された小川和佑さんによる修正であるようです。
89年が増刷最終となっているのは、これは私の推測ですが、思潮社の現代詩文庫や新潮文庫、岩波文庫などで読めるようになったからだろうと思います。
1961年版(限定1200部)
1966年 1800部 増補改訂版初刷
1968年 1000部 増補改訂版2刷
1969年 1160部 増補改訂版3刷
1971年 1500部 完本初版
1973年 460部 完本2刷
1974年 700部 完本3刷
1976年 1000部 完本4刷
1977年 800部 完本5刷
1980年 700部 完本6刷
1989年 500部 完本7刷(最終)
静雄が、朔太郎が絶賛した・・・旧来の(常識的な)日本語が破綻するギリギリのところで生み出した、いわば母語の裂け目を突き抜けようとするかのような危うい場所で生み出した「哀歌」の硬質な抒情、そのスタイルが、なぜ継続されなかったのか。手法の継続が重要だったのではなく、普遍的な表現意欲の方が大事だった(たとえばリルケやヘルダーリン、あるいは芭蕉から影響を受けた存在論的な探求の姿勢)のだろう、と、現段階では考えています。
手法を巡っては、モダニズムスタイル、自然主義スタイル、翻訳調スタイル、古典を独自に消化したスタイル、さらに古代歌謡を意識したスタイルと、飽くなき変遷を重ねていると思いますが、その彷徨の課程は、退行や衰弱ではなく、探索、探求だと評価すべきであろう、と思っています。・・・戦後は自然主義的叙述スタイルに「回帰」したように見える、けれども・・・詩作する自分の内面を見つめたり、詩作している場にいる自分を、その外から眺めたりするという意識を持って詩を生み出しているようにも思われるのです。このあたりを真剣に考えていかなくてはいけないのでしょうけれども、まずは戦時中のことを、しっかり考えたいと思います。
封建的旧社会が、「人間性の尊重」という光輝の部分と(無法な自由主義経済、資本主義経済の帰結としての)「帝国主義化」「工業化」という暗愚の部分とに「解体」され、新たな「近代国家」に再編されていく過程が、人間の心、その集合としての社会に与えた、表層的、深層的影響・・・それが現れているのが、二つの大戦を経て生み出されてきた「〜イズム」の諸相であり、遅れて西欧「先進国」と同様の道を辿ろうとした日本が、必死に、時には表層的に取り入れた「〜イズム」であり・・・
マルクス主義の勃興が「庶民」「未だ権力を持たざる者」の側からの「国家や社会体制の解体と新たな理想国家の建設」であったとすれば、解体を恐れた国家の側、既存権力の側からの「新たな理想国家の建設」「求心力を持った、超越的権力の希求」への動きがファシズムである、とも言えるわけです。
伊東静雄の『春のいそぎ』とまったく同時期に刊行された大江満雄の『日本海流』では、最後に宇宙へと選ばれた人民が旅立っていく、そうして、訪れるかもしれない滅びを突き抜けて、人類は新たな次元に至って存続していく、という理想?が歌われていて驚くのですが、こうしたエスエフ的な発想も、宮沢賢治の銀河鉄道や「すべての人が幸福になるまでは個人の幸福はあり得ない」という生真面目な賢治の「憂国」的思想も、すべてがつながっているような気がしてなりません。
大江はマルクス主義からの転向者ですが、戦後に公刊された雑誌の中で、なおも新たな理念を求めようとしている。他方、静雄は新たな理念を求めようとするのではなく、〈牧者を失った群〉のようだ、と当時の人々を見つめながら、「その時代」に生きる自分と社会、家族とを、静かに見つめ、書き遺そうとしている。いわば、観察者、証言者になっている。
(人類に真理を告げ知らせねばならない、というような)ある種の使命感を持って、理想の探求者となる道を歩き続けた大江満雄と、その時代を受け止め、後世に歌い遺していくという運び手の道を選んだ伊東静雄、という方向が、もしかしたら見えてくるかもしれない。そんなことを思うようになったので、しばらく、この二人について考えてみたいと思っているところです。
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