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伊東静雄を偲ぶ
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水無月と水無瀬についての閑話
本論がなかなか進まないので、最近見たり読んだりしたことをネタにして、閑談を挟みます。
6月1日の朝日新聞に「水無月 無は「無い」ではない」という、おもしろい記事が載っていました。その要旨は、
6月は梅雨時で水が多いのに、水が無い月というのはおかしい、と思っていたが、水が無いのではなくて、大阪大学の蜂矢助教(国語学)はこの語の成り立ちを「ミ[水]+連体詞ナ+ツキ[月]」という語構成で、水底[ミナソコ]、港[ミナト、水の門]などと同様に「水の月」とする」のが主流である、したがって「みなづき」の「無」の字は「無い」という意味ではなく、別の成り立ちの「水無瀬川」(表面に水が無い川)などの表記に影響された一種の当て字と考えてよいと、蜂矢さんは分析しておられる、と。
それはそうならそれでよいのですが、そうするとこんどは「水無瀬川」が別の成り立ちという、それはどういう成り立ちなのか、ほんものの水無瀬川はほんとうに「表面に水が無い」のか。見たことがないのでわからないのですが、どなたかご存じありませんか。
伊東静雄は「水中花」を書くときに「水無月」はほんとうは「水有り月」だ、と考えながら書いたのだろうか。庄野潤三に水無瀬宮の話をした際に、「水無瀬はなぜ水無瀬なのか」ということまで説き及んだのでしょうか。
庄野はまたこんなことも書いています。「先生は水無瀬の歴史――後鳥羽上皇がこの水無瀬の離宮で御心のゆくかぎり世をひびかしてあそびたまふたことに就いて話して下さっているうちに、渡し舟が戻って来た」
この「世をひびかして」という語が、わたしにはわかりませんでした。日常会話で用いる語ではないので、何か拠る所があるのかと思っていたのですが、その出典が『増鏡』であることを、保田與重郎『後鳥羽院』で知りました。引用がありました。『増鏡』の原文はWEBで見られますので、そこから引いてみます。
猶又水無瀬といふ所に、えもいはずおもしろき院づくりして、しばしば通ひおほしましつつ、春秋の花紅葉につけても、御心ゆくかぎり世をひびかして、遊びをのみぞし給ふ。所がらも、はるばると川にのぞめる眺望、いとおもしろくなむ。元久の比、詩に歌を合はせられしにも、とりわきてこそは
見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋と何思ひけむ
かやぶきの廊、渡殿など、はるばると艶にをかしうせさせ給へり。
WEBにはこの現代語訳もついていて、「世をひびかして」は「世の評判になる程」の意、とあります。
そうして、この現代語訳から私は、もうひとつ、とんでもないことを教わりました。
庄野「淀の河辺」は、冒頭に「見渡せば」の歌を引いて、行く先を決める話し合いの中で、
「結局、水無瀬へ行くことに決めてから、後鳥羽院のあの歌は春がいいのだったかしら、秋だったかしら?と言い出して、……夕べは秋と、まで二人で口吟んで「なに思ひけむ」で思わず笑ってしまった」
という出来事を記しています。
なぜ「思わず笑ってしまった」のか。
私はすこしも疑問に感じずに読み流してしまっていました。せいぜい、二人ともよく歌をおぼえていたので、嬉しかった、程度の憶測しかなかったのです。
現代語訳の解説によると、
・この歌の季節は「春」である←「かすむ」により。
・「夕べは秋となに思ひけむ」は、枕草子の「春はあけぼの/夏は夜/秋は夕暮れ/冬はつとめて」をふまえている。
・この「枕草子」の名句に引かれて「夕暮れといったら秋ダロ」という固定観念が成立した。上皇の歌は、「春の夕暮れも素敵だ」と感動し、「なぜ夕暮れといえば秋だと思い込んでいたのだろう」と、興がるのである。
それにもかかわらず、二人はやっぱり秋の、秋季皇霊祭の日を選び、心はずませて、これから水無瀬に赴こうとしている。「なに思ひけむ」(笑)、という次第ではないでしょうか。
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