レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
伊東静雄を偲ぶ
-
詩的言語の生成
ずいぶん長らくごぶさたをしました。
「桃谷談話会」で今回私が「石原吉郎と香月泰男」をテーマに話をすることを引き受け、2ヶ月ほど準備に没頭して、それがこの3日の日曜日にようやく終わりました。私の談話は時間が大幅に不足して、なんとも中途半端に終り、大いに悔いを残してしまいました。そもそも私が石原吉郎について語るということ自体が無謀のきわみなのですがそれはもう云わぬことにします。そうして、ひとつだけ、席上、私が絵を描いて話したことを、投稿の形で皆様に見ていただこうと思います。
「心」というものがあるとします。はじめ、その心の中に、もやもやとした、なにか気がかりのようなものがあって、次第にざわめきのようなものに変わり、あたかも宇宙生成のときの塵がだんだん凝り集まって星のモトをつくるように、あるまとまりを作りはじめますが、まだ形も定かでなく、ましてやそのものを呼び表わすべきコトバもありません。詩人は〈そのもの〉を呼ぶべく――それこそ意識の暗黒部との必死な格闘を行いつつ――〈コトバ〉を探します。
言語学の用語を借りて、〈コトバ〉を signifiant、〈そのもの〉を signifie と呼ぶことが許されるでしょう。
石原に「陸軟風」という詩があります。はじめ、「気配」のようなものが萌し、それは「風」と感じられ、最後にそれは「望郷と呼んでもいいだろう」と結ばれます。
多くの場合、signifiant は、はじめて名付けられたコトバとして、〈喩〉の形をとるでしょう。(図1)
次の事柄は多分、誰も言ったことがなく、おそらく、詩に無知な素人のたわごとと云われるかもしれないが、とことわりつつ、石原の「夜の招待」を取り上げて、こんなことを云いました。通常、signifiant は、能記としてこちら側から、ある名前のないものに名前をつけようとするのだが、時に signifie のほうから、いわば突然それがはじけるようにして、signifiant を、コトバを、飛び出させることがあるのではないか。なにか〈夜〉にかかわる、あるもやもやしたものがあり、あるとき突然、〈そのもの〉がはじけて〈コトバ〉をはじき出す(図2)。「ぴすとる」「かあてん」「連隊...せろふあんでふち取られた」「ふらんす...すぺいん」・・・
これらのコトバがどのような脈絡を持つのか、それは「心」に聞いてみなければわからない。ただ、この詩がもしこのようにしてできたとすれば、それを「散文にパラフレーズする」のは不可能であろう、ということは、自ずと了解されるのです。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6806.sizuo1906/0001573.jpg
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板