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伊東静雄を偲ぶ
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山本様
そうですね、なぜ、静雄は「私が〜」から始めるのでしょう。
私自身が詩を書き始めた時、青木さんの詩は翻訳詩のようだ、と言われたことがありました。
代名詞が多い、中でも「私」が多い、日本語では「私」は基本的に書かなくてよい・・・
意識して「私」を書かないようにしていた時期もありましたが、今では、「わたし」と「私」を一つの詩の中で書き分けたりする時もあります。
何といえばいいのか・・・和歌や俳句、あるいは伝統的な日本の抒情詩は、障子を開けた縁側のある和室で、外の空気や光を感じながら(時には一体となりながら)部屋の中の各主体(私)が詩を歌っている、そんな気がするのですが、西欧の詩の場合、石造りの部屋の、小さな窓から外を眺めながら(窓のそばに立つ人も、部屋の奥にいて窓に背を向ける人もいるかもしれませんが)各主体(私)が書いている。場合によっては、その状態を、更に窓の外から見ている、のぞき込んでいる「私」がいる、ような気がします。
静雄の「私」「わが〜」には、そんな、感じている「わたし」を、外から見ている「私」が居る、そんな二重性を感じています。
http://yumikoaoki.exblog.jp/
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