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伊東静雄を偲ぶ
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『散歩道にて』
わが家の梅の花(盆栽)や椿(玉之浦ほか)がちらほらと開き始めました。例年は既にメジロが飛んできているはずなのですが、姿を見せません。最近野良猫が増えたせいでしょうか。寒さの中にも確実に春が近づいているのだと感じつつ、淀の河邉をロードバイクや徒歩でうろついています。
庄野潤三さんの随筆集『散歩道から』(1995年 講談社刊)によると、毎日1万5千歩くらい歩くのを目安にして、多摩丘陵を散歩されたと書いてあります。(庄野さんは脳内出血で入院され、退院後散歩を始められたのだそうです。)
同書108頁〜127頁に「森亮さんの訳詩集」と題する「新潮/’91・6」同書では一番長い文章が収録されています。
これには、『ルバイヤット』の「さて音もなくつぎつぎに」が、どうして『詩集夏花』では「さても音なくつぎつぎに」となったのかについて、「『ルバイヤット』からいちばん好きな四行詩を選んで口ずさんであるうちに、どうかした拍子に、すり代ってしまったのだろう。・・・」と書かれています。
私も念のため『コギト』を書棚から引っ張り出して、埃を払って第一歌〜第七十五歌まで全部を読んでみました。『ルバイヤット』の原作者は古代ペルシャの天文学者、数学者のオーマー・カイヤムですが、その思想に共鳴した19世紀の英国フィッツジェラルドは、これを極めて自由に英訳しました。大学出たての森亮さんも、「運命のまにまに生き且つ死にゆく人生のはかなさを歌い、その憂さを晴らせとばかり享楽を勧めるたぐいの思想詩」として和訳され、まさに森亮節とも言えそうな調子の良い訳詩集になっています。
第一歌〜第七十五歌や「注解」を読んでみて、そのことが良く理解できました。
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