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伊東静雄を偲ぶ
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「喘ぎ喘ぎして」自発的乗越
山本様。青木様。小生の拙い投稿をお読み頂きコメントありがとうございました。
早速、田中俊廣著『痛き夢の行方』を開いてみました.10余年前に読んで線を引いているのですが、中身の大半を忘れていますね。(慌てて再読しました。)
今日、昼休みに古本屋をのぞいていたら、硝子戸棚の中に『関西戦後詩史』が展示してあり、その帯に次のようなキャッチコピーがありました。
<雪原に倒れ伏し、飢えにかげりて、青みし狼の目>が燠火のように燃えている。・・・・・
言うまでもなく「八月の石にすがりて」の最後の詩句です。中身も見ず即購入して、仕事の合間にペラペラとページをめくると、295頁に次のような文章がありました。
(国鉄詩人連盟の 柏岡 浅治様)
・・・・・たとえ独りぼっちになっても、年老いても、伊東静雄の詩じゃないが「雪原に倒れ伏し、飢ゑにかげりて、青みし狼の目」をぼくらは連帯すべきじゃないか、・・・・・
おそらくこの発言を受けて、<編纂後記>で、福中 都生子様が以下の文章を入れられ、更には帯のキャッチコピーとなったのでしょう。
「雪原に倒れ伏し、飢えにかげりて、青みし狼の目」ともいうべき野性的連帯の光芒が実存している・・・。
驚いたことに「八月の石にすがりて」の詩句の一部分が独り歩きをしているのです!!(伊東静雄もさぞやビックリしているかも・・・)
「拒絶」を経て、約半年間のブランク(昭和11・7〜同12)の半ばで、「三日三晩のたうちまはつた」り、「三日三晩ほど気違いのやうになって」生み出してきた詩句であります。このような苦難を自らに課して、「拒絶」という逃避の場所から、伊東静雄は「喘ぎ喘ぎして」自発的に乗り越えてきたというのが、田中俊廣著『痛き夢の行方』の説くところでしょうか。
小野十三郎さんも、「詩の書き方、うまかったな。名手やな。伊東静雄は。・・・なんかぬれそぼった抒情詩でなくて,固い光沢がある。あの光る固いものは何か。」と仰っています。(『関西戦後詩史』329頁)
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