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伊東静雄を偲ぶ
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暑中お見舞いにかえて/野口寧斎と森鷗外
森鷗外『ヰタ・セクスアリス』(新潮文庫)108〜110頁に、原口安斎*という詩人が出てきます。<注解> *原口安斎/モデルは野口寧斎(1867〜1905)。漢詩人。長崎生れ。
僕(鷗外)は、自由新聞の社主(代理)が先日書いて貰った御礼に馳走をしたいから、一緒に来てくれというので神田明神の側の料理屋に這入った。
原口安斎は先に来て待っていた。ところが、僕も安斎も酒が飲めない。三人の客は、壮士と書生の間の子という風で、最も普通の書生らしいのが安斎である。・・・・・11時半頃になって人力車3台が迎えに来て、上野の方向へ飛ぶように駆ける。・・・・・広小路を過ぎて、仲町へ曲がる角の辺に来たとき、寧斎が車の上から後ろに振り向いて「逃げましょう」と言った。寧斎の車は仲町へ曲がった。・・・・・
結局、鷗外は逃げきれなくて吉原遊郭へ行き、午前3時半頃「大千住の先の小菅」の両親の家へ帰ったのですが、ここに野口寧斎を登場させたのが面白いですね。(その頃は「自由新聞」も存在せず、恐らく実話ではなさそうですが、野口寧斎と森鷗外の間柄がどのようなものであったかを想像させます。)
『舞姫』は、明治23年1月3日『国民の友』第69号付録『藻塩草』に掲載されたのですが、『しがらみ草紙』第4号(明治23年1月25日発行)には早くも「舞姫を読みて」(謫天情仙*)と言う評論が掲載されています。*野口寧斎のこと
評論「舞姫を読みて」については、長くなってしまいますので別稿とします。
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