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伊東静雄を偲ぶ
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小野十三郎のリルケ論
私は、鏡は一義的には「映す(写す)もの」とのみ考えていたのですが、今回、Morgenさんの云われるところを私なりに理解し得たように思いました。
・穏やかな(「鏡のような」)水面
・水面下に隠された幻怪
・そのような位相において存在するものとしての鏡
もし鏡がこのような属性を持つものであれば、鏡は、あり場合には
・何事か/何物かを隠すもの
・それによって隠されている存在(もの)
の喩になりうるだろう、というふうに考えてみたのです。
以下、本題です。
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『小野十三郎著作集』(全3巻、筑摩書房、1991‐92年刊)というものを古書で購入しました。その第2巻に『短歌的抒情』(原本は昭28創元社刊)が入っていて、私はこれを単行本では持っていなかったので、この著作集ではじめて読みました。その中に「風景論の意想」という文章が収められています。編註では「初出不明」とのことですが、内容は三笠書房版『リルケ全集』の第5巻『風景画論』を読んでの批評文です。
小野十三郎がリルケを論ずるとどういうことになるか? あらかじめわかっていると言ってしまえばそれまでですが、やはりリルケの風景画論の中に一種の宗教的オブスキュリティへの傾きを認めて、これが「がまん出来ないのだ」と言っています。といっても、小野さんはむしろ、ヴォルプスヴェーデという北方ドイツの冷たく乾いた風土や、そこでの画家たちの「硬質の抒情」にむしろ好感を抱いていて、けっしてリルケ嫌いでも何でもなかったと思います。
しかし、と小野さんは言って、およそ風景画というものにひそむ〈魔〉のようなものについて、ヴァレリーの「風景画の発達は、絵画における理智的要素の著しい減少と不可避的な関係をなしている」という言葉を引き、以下のように述べるのです。
ここには、「形象詩集」から「ドゥイノの悲歌」にいたるリルケの精神的発展の中に見られる一種の宗教的悲願のようなものがようやくその形を現わしはじめている。これがぼくにはがまんが出来ないのだ。詩というものは一たんそれが至上実在的なものや、宗教的な永遠の権威に憑かれて、天上の摂理の中に入ってしまうと、もう詩精神自体としての形成は終ったようなもので、その瞬間から、それがどんなに高度の純粋なものでもさっぱり魅力のないものと化してしまう。
ヴォルプスヴェデの荒漠たるハイデを見るリルケの眼の澄み方もそういう澄み方で、その眼はよく五人の画家の各々の作風と性格の隅々にまで達し、北方ドイツ的国土の陰惨な自然と社会的時代的環境の中から生まれた風景画の冷たい硬質の抒情性の内容を縷々解説しながら、やはり浪漫主義的伝統による習慣的な感性と思考でもって、結局そこに「神性」の顕示を見ることで目出度く終了しているのである。
「伊東静雄は明晰な精神である」これは亡くなられた杉本秀太郎さんの、名言であると思います。伊東の精神はけっして、オブスキュールな、神韻縹渺などに凭れかかるようなものではなかった。このことが、およそ正反対のような小野と伊東というふたつの精神を相い寄らせたのではなかったか、と思うのです。(小野十三郎の立原道造論というものはないか?)
ネットで見ると、ヴォルプスヴェーデはけっこうな観光地みたいになっているようです。五人の画家の作品もたくさん見られます。三笠版全集の『風景画論』の訳者は谷友幸先生で、これは思わぬことでした。昭和18.12.12.高安国世宛伊東静雄書簡に『風景画論』を読んだ旨のことがチラと出て来ますが、読んで「色考へて興味深かった」その点を、もう少し書いてほしかったと惜しまれます。
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