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伊東静雄を偲ぶ
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『鏡のモチーフ』 (追)
山本様、こんにちは。
私の方は、株主総会を無事に終えて、滞っていた仕事を書き出してみたら10項目ほどもありましたので、順々に片付けているところです。
最近は月に3回ほど東京出張していますが、根津神社(地元の人は「権現さま」と言う)〜団子坂辺りにある「文豪の街」という看板や藤沢清造『根津権現裏』が心の底に残っていて、少し時間をかけて周辺を散策してみようと思いながら、その時間がとれず、まだ実現していません。
*藤沢清造『根津権現裏』(1922年)(新潮文庫で復刊されています)が、どこか『マルテの手記』―同書の後記に付されたリルケの「写真のネガティブ・・・」を含めて―を連想させます。
(藤沢清造は、石川県七尾の生まれ。小説家を志して上京。1932年芝公園内のベンチで凍死。年譜によると、藤沢清造が『根津権現裏』を執筆したのは大阪・大淀区中津町の兄の家でだったようで、我が家から徒歩圏内です。)
先日、天神橋の天牛書店を覗いていた折に『トラークル全集』(元は1万円ほど)が3,500円で売られていたので直ちに購入して、ペラペラめくっていたら、前回ご紹介したトラークル「三つの夢」の「鏡」の詩句が目にとまったのです。
山本様ご紹介のように、伊東静雄は[談話のかはりに]で、次のように述べています。
「・・・・・新即物主義といふのは、文字通り、なるべく事物に即し、明澄な鏡での様にこの紛雑した世界に対し、それを透徹しようといふのらしい。表現主義のアンティテーゼで、リルケやゲオルグの伜であるらしいとのことです。・・・・・」
ご存知のように、トラークルは「表現主義派」に分類されておりますが、「(心の)鏡に映る海の 見捨てられた 悲しい幻の土地の映像・・・」という表現をしているのに興味を引かれたのです。
「リルケは、まさに“紛雑した世界”の美や情緒のような感性的なものは、そのままでは捉え難くても、「鏡」に映してみるとシンプルになり、解り易くなると言っているのではないか。」というのが、私が感得した『鏡のモチーフ』に関する読み解きのヒントでした。
『鏡のモチーフ』の使用に関しては「リルケもトラークルも似たようなことをやっているな!」という感想を、そのまま書いたたのが、前稿の趣旨でした。
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