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伊東静雄を偲ぶ
岩波PR誌『図書』からの見つけ物
『図書』今年の3月号に池澤夏樹さんが「「風立ちぬ」という訳を巡って」という文章を書いています。
堀辰雄の『風立ちぬ』は、まず扉にヴァレリーの詩句 "Le vent se lève, il faut tanter de vivre." が引かれ、第1章「序曲」が「それらの夏の日々……」と、回想の口調で始められる。「私達」は草原の白樺の木蔭に寝そべっている。「そのとき不意に、何處からともなく風が立った」。何かが倒れる物音がした。画架が倒れたらしかった。ふと、「風立ちぬ、いざ生きめやも」という詩句が、口を衝いて出て来た。……
池澤さんは、この「生きめやも」が「誤訳」であるという、おおかたの説を、丸谷才一と大野晋との対談から、次のように引用しています。
丸谷 「生きめやも」というのは、生きようか、いや、断じて生きない、死のうということになるわけですね。ところがヴァレリーの詩だと、生きようと努めなければならない、というわけですね。つまりこれは結果的には誤訳なんです。(下略)
そして大野もこれを肯っているので、誤訳説は定着したかに思われた。
ところがこの対談の数年後に、『昭和文学全集 6』(小学館)の「室生犀星・堀辰雄・中野重治・佐多稲子」の巻の解説で清水徹がこれに反論を加えた。……
以下、池澤さんはこの反論の紹介に移ります。すでに十分に要約されたその内容をさらに要約するのは至難なので、以下の拙文の疎漏はお含みおきください。
小説『風立ちぬ』の、「序曲」「春」「風立ちぬ」の章は、回想の文体で記され、「冬」の章ははじめに日付が明記されて、現在進行形の語りになる。前半3章は、「私達」が愛し始め、やがて「お前」は胸を病んで療養所に入り、「私」はその病室につき添う生活を始めた、そこまでの、「冬」冒頭一九三五年十月二十日以前のある時点からの回想になっている。
「愛し合いはじめた自分たちの未来が暗雲に覆われることを、夏の草原に横たわる「私」は知らないが、その抒情的風景を回想する「私」のほうは知っているのである。「風立ちぬ……」の一行は、こういう文脈に置かれている。だから、この一行はこの文脈との関連で、意味作用を繰りひろげる。風が起こり、画架が倒れたとき、「私」の口を衝いて出て来た詩句は、回想的な語りによるこうした二重性を、「やも」という終助詞の意味のひろがりを利用して、いわば一行の両側に彫りこんでいるわけである」
さらに池澤さんは、清水の引用を続け、
「著者によって置かれた題辞「生きんと試みなければならぬ」は、こうした語りの治癒力にかかわる。婚約者につき添ってサナトリウムにこもり、婚約者の死の経験をした「私」がなぜその経験を語ろうとしたのか。書くことをとおして、悲しみを乗り越え、「生きんと試み」ているからである。悲しい経験のあとで、それを書くことによって、《婚約》という著者自身にとって重い意味をもつ主題を深く認識し、生への復帰を試みているからである。そうやって堀辰雄は貪婪に作家としての道を進んでゆく」
見事な読みだと思うし、結論は出たとも思う、と記すのです。
清水徹解説の全文を、一度読んでみたいと私は思っています。
池澤さんの文章を読んだのとほぼ同じ頃に、金時鐘『朝鮮と日本に生きる――済州島から猪飼野へ――』(岩波新書)を読了しました。これは2011.6〜2014.9の40回にわたる『図書』連載をまとめ、終章を加えたものです。
「やはり歌は情感の産物のようです。その情感を一定の波長の心的秩序に仕立てているものが抒情なのですが、だからこそ批評はこの「抒情」のなかに根づいていかねばならないと私は思いつづけています。私が抒情という、さも共感の機微のようにも人の心情をほだしてしまう感情の流露を警戒してやまないのは、私がなじんで育ったあらゆるものの基調に、日本的短詩形文学のリズム感が規範さながらにこもっているからであります。// 思えば思うほど私はその情感ゆたかな日本の歌にすっぽり包まれて、なんのてらいも抗いもなく新生日本人の皇国少年になっていった者でした」
これと並んで、
「私はその本を道頓堀通りの「天牛」という古本屋で手に入れました。古本とはいえまだ新本同様の、『詩論』という小野十三郎著の単行本でした、そのときのとまどいと衝撃は、その後の私を決定づけてしまったと言っていいくらいのものでした。……詩とはこういうものであり、美しいとはこういうことである、といった私の思い込みを、根底からひっくり返してしまったものに『詩論』と小野十三郎は存在しました」
金さんはやがて大阪文学学校にかかわることになり、多くの文学仲間と交わりを得ます。
「なかでも文学の発光体のような三人の友人、しなやかな論理性と巧まざる筆法で読者を虜にしてきた、文芸評論家の松原新一氏と、名人芸の文章力としか言いようがない作家の川崎彰彦氏、そして底知れぬ知識を蓄えている、詩人で評論家で、ドイツ思想専攻の大学人である細見和之さん。」
「詩人、倉橋健一君」との出会いのことも記されています。
その細見和之さんが、同じ『図書』3月号で、「大阪文学学校創立六十年」という文章を載せているのです。長くは引きませんが、「代表的な講師だった金時鐘さん、倉橋健一さんなどと出会えたことも大きかった」と、それらの名前が引かれています。
細見さんはご承知のように、小野十三郎・長谷川龍生についで、三代目の「大阪文学学校校長」を引き受けられたのです。
私の持っている細見さんの著書といえば、近著『フランクフルト学派』(中公新書)と、前に出た講談社の『現代思想の冒険者たち 15 アドルノ』の2冊だけですが、アドルノについてはほかにも何冊か出しておられ、この掲示板でも昨年、〈細見さんの名前は記しませんでしたが)「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」という、アドルノの有名な言葉を、私が(「乏しき時代の詩人」とのからみで)引っぱり出したことがあります。細見さんは、みずから詩人であり、ドイツ思想の専攻者であって、アドルノやベンヤミンの翻訳にもかかわり、評論も書かれ、他方で大阪文学学校校長であり、作曲もし、バンドも結成して活動するなど、柔らかい精神の持ち主と、かねて思っていましたので、いつか、あと数冊この人のものを手に入れて読んでみようと思っています(でも、アドルノはむつかしいのです)。
雑誌『図書』は一冊100円のヘンペンたるPR誌ですが、この3月号は以上のような次第で、思わぬたくさんの見つけ物をした、というご報告です。
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