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伊東静雄を偲ぶ
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ボルノー「リルケと実存哲学」続
2月3日投稿で一瞬触れた「ヴィーコ」の勉強会がこの5日、日曜日に終り、それまでしばらくリルケの方に手がまわりませんでした。その間掲示板にもごぶさたをしてしまいました。梅が咲き、桜が咲き、ようやく春爛漫なのに、私などまだ「寒い、寒い」と云っています。「粛々と」や「志」「大義」とかがあまり大声で云われる世の中も、私にはうそ寒く感じられます。
Morgen さんの「変容の詩人」としてのリルケ、兼常清佐のこと、続稿を期待しています。変容の到達点としての「ドゥイノの悲歌」「オルフォイスによせるソネット」、昔勉強したノートなどをひっぱり出して枕元に置いたのですが、なかなかそこへ戻る気になれません(山が高すぎます)。
本稿は、3月11日投稿の「ボルノー「リルケと実存哲学」」の続きです。
一、現代詩人としてのリルケ(前回)
二、リルケの概念語について(今回)
三、リルケの実存哲学(次回)
二、リルケの概念語について
イ
「リルケの言語を考察するにあたっても、ある種の貧しさというものがどうしても目についてくる。……彼の言語には軽妙で流れるような豊かな表現が欠けている。……この欠乏は偶然的なものではなく、ある意識的な造型意識の効果なのである」
ロ
「リルケにとって顕著なことは、絶えずくりかえされるわずかな単語で済まされていること、また散文や詩のなかで常に新しい関連によって飽くことなく反復されている一定の持続的な単語が存在していることである」
ボルノーはそのような単語として
純粋な rein、親密な innig、開かれた offen、信頼しうる verläßlich、消える schwinden、乗り超える übersteigen、凌駕する übertreffen、もちこたえる bestehen、讃える rühmen、誉める preisen、従う gehorchen、果す leisten、用いる gebrauchen、などをあげています。
ハ
そうした単語は「その当の単語がたんに問題の個所の特殊な文脈から生まれでてくるというだけでなく、リルケの文学世界全体のなかでその単語が特徴づけているところのより広範な意味連関が同時に共鳴しだす、ということである。その単語は、その特定の個所において、ある表現価値を持つというだけではなく、同時にリルケの文学世界の総合的連関において、きわめて確定的な機能上の価値を持つのである」
ニ
「それゆえ、彼の慣用語についてはくりかえし付説を施すことが要求され、他の詩人の場合と異なり、――最も重要な単語の言語上の使用範囲をある程度完全に集録し、その「諸分野」を展開することで、信頼するに足る解釈の前提となる――「比較リルケ辞典」なるものがあれば、それは不可欠なものであろう」
ホ
「リルケが好んで用いた単語の系列を一見するや、いまひとつの別のことが目につくのである。その系列には、われわれをとりまく世界の感覚的な豊かさを表現するための単語はないのである。……具象的ならざる蒼白い単語……それゆえ彼には、言語理解の常識に従えば、まったく詩的ではない文が、むしろ哲学の概念語による教訓的なかたちをとった文が成立する。……リルケの晩年の作品は、言葉の厳密な意味における「教訓詩」である」
たとえば「彼は従う、踏み越えることによって」「変身を意志せよ」「純粋な関連へと戻りゆけ」などをボルノーは挙げています。
ヘ
「リルケにあっては、同一の表象が、同一の想念がなんとくりかえしくりかえし反復され、その結果、彼の文学作品が立脚している世界は、合わせてみてもかなり限定され一望しうるほどの範囲となっていることに驚かされる。……リルケにあっていく度もくりかえされ、ある象徴的な意味にまで高まった一定の対象、例えば「鏡」、「泉」、「ボール」、「秤」、「バラ」あるいはそれに類する花――……(中略)……このような象徴はこの場合も数の点ではかなり限られ、概算しうるほどではあるが、リルケの作品にくりかえし現われ、新たに観察されるごとに新しい深みをますものである。それゆえに、それらの象徴は、リルケの世界を理解するための恰好の入口をなし、詳細にして厳密な考察の対象に値するものである」
引用ばかりになってしまいました。
この章では本題の実存主義には言が及んでいませんが、このようにリルケの用語の独自性に焦点を絞った論究はさほど多くはなく、貴重であり、また、リルケの語彙の意外な乏しさや抽象性と機能性の指摘、さらに「比較リルケ辞典」(いつぞや「立原道造辞典」について何か書いたことを思い出します)「教訓詩」等の意表をつく発想など、私は興味深く読みました。そういえば前回の「詩作=思索」も、同じ発想で換言すれば「リルケの晩年の作品は、言葉の厳密な意味における「形而上詩」である」とでも云えそうです。
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