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伊東静雄を偲ぶ
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Wozu Dichter?――リルケ読書その後(1)
ハイデガー、Wozu Dichter? を、ようやく読み終えました。前にも書きましたように、原書(Holzwege)で50ページほど、一日2ページとしても、ひと月で読める、と計算したのですが、全然読めない日もあり、半ページしか手をつけなかった日もあり、結局、ひと月以上、かかってしまいました。それで、訳文で読んだ時よりいくらか理解が進んだかというと、まことに怪しいものです。それに、いつの間にか、リルケを脇に放念してハイデガーを読んでいる、というふうにならされてしまうのは、仕方がないようでもあり、腹立たしいようでもあります。
綿々と書き綴っても仕方がないので、以下では、トピカを(いまヴィーコを読んでいるのです)取り出して、断片的に記します。
ハイデガーはまず、ヘルダーリンの「パンと葡萄酒」の一節を取り上げます。
何をなし、何をいうべきか、私は知らない、
そしてこの乏しい時代にあって、詩人は何のためにあるのか、を。
... und was zu tun indes und zu sagen,
Weiss ich nicht, und wozu Dichter in durftiger Zeit.
次にリルケを呼び出した後、ハイデガーは次のように問いを立て直します。
リルケは乏しき時代の詩人であろうか。
彼の詩作は時代の乏しさといかに関係するか。
それは深淵にどの程度深く到達しているのか。
彼がどこかある場所へ進みうるかぎり進むと仮定して、さてこの詩人はいずこへ達することができるか。(訳書 p.18-19)
これらにたいするハイデガー自身の答え、リルケとは結局「なんぼのものであったか」の答えは、論の最後にならないと出て来ません。少しずつ、進んで行こうと思います。
はじめにハイデガーは、この時代を何故に「乏しい」と云うのか、いつ、どうして、そうなったのか、乏しい時代の特徴は何か、と説き進めて行きます。
私はそれを図解してみました。今日の投稿の目玉はこの図解です。ここで気を楽にし、笑っていただければよろしいのです。また、まちがっているところがあれば、ご指摘ください。
前稿で私は「誤解」ということを云いましたが、あらためて考えてみても、まだその疑念は解けません。見方を変えて、たとえば人間を<実存>として規定すると、それは一般的な規定であって(人間すべてがそうなのだ)、時代的な限定を受けるものではないと思うのです。
もうひとつ、前回「アウシュヴィッツ」のこと書きましたが、記憶がアイマイで、正確な引用ができませんでした。あらためてここに記します。
「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」
(アドルノ『プリズメン』所収「文化批判と社会」、ちくま学芸文庫版 p.36)
時間的な順序を云うと、
1924. 6 リルケ「自然が生あるもろもろのものを…」詩作
1940 アウシュヴィッツ強制収容所建設〜45 解放
1945.12 ハイデガー記念講演 "Wozu Dichter?"
1949 アドルノ「文化批判と社会」執筆
つまりハイデガーの講演は「アウシュヴィッツのあと」であったわけです。ハイデガーは「原爆なんかたいしたことない」みたいな云い方をしていますが、アウシュヴィッツについては一言もふれていません。(これ以上言い募ると「ハイデガーとナチス」のような脇道に入ってしまうので、ここでは立ち入りません。
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