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伊東静雄を偲ぶ
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baobab、または『考える蜚蠊』
「朱雀の洛中日記」の中野さんが今月13日、奥本大三郎『本を枕に』のことを書いておられたので、久しぶりに奥本さんの本を読みたくなって、取り寄せて読んだ。読み終わって、なんだか前に読んだような気がする。それで家中を探しまわって奥本さんの本を集めてみると、文庫新書で7冊ほどあり、『本を枕に』もちゃんと買って、読んでいる。こういうのを本当の Double Booking というのだろう。
一冊読むと次を読みたくなる。今『考える蜚蠊』を読んでいる。その第?部(というのか第?章というのか)の扉の挿絵が、掲出した baobab です。
『考える蜚蠊』の冒頭に自分の履歴のようなことを奥本さんは書いている。
小学一年生の夏であったか、海水浴に行って水が入ったのが原因で、左の耳が中耳炎になった。私が育ったのは大阪の南部、難波と和歌山市の中点ぐらいのところにある貝塚という町だが……
奥本さんは貝塚の奥本製粉という会社の社長の御曹司である。私の家内は貝塚の子で、小・中・高と学校は貝塚の学校を出た。小学校は奥本さんと同じで、ただ年齢がだいぶん離れているので、上級生とか先輩というような直接の接触はなく、それでも家内は親しげに「奥本クン」などと云ったりする。その後私たちは結婚して貝塚に住み貝塚の学校に勤めた。だから、奥本大三郎さんは私たちのことは何もご存じないけれども、私たちのほうから見れば奥本さんは親しい人なのです。
もちろん、書かれたものが好きなのである。『ファーブル昆虫記』は未読なので、プルーストが済んだら……と、気の長いことを考えている。
しかし『考える蜚蠊』第?章の扉に、なぜ baobab の絵を持ってこられたのか、それがわからない。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6806.sizuo1906/0001198.jpg
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