したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

伊東静雄を偲ぶ

1054Morgen:2014/08/19(火) 14:28:53
ご冥福を『闇屋になりそこねた哲学者』
 柳田国男が「近代以後、日本が悪くなった時期が二度ある。一回目は漱石の弟子ども、即ち和辻哲郎、阿部次郎、こういう連中が、西洋思想を輸入したとき、これで日本が悪くなった。第二期は、小林秀雄、桑原武夫、などという連中が、ヴァレリー、プルースト、ジッドなどというようなものを担いで、それをもっとばかな若者どもがその後をついて歩いて、これで日本が二回目に悪うなった。」と私(桑原武夫)に言ったことがある。

 これは、『現代風俗‘85』第9号(1985・10)「“老い”の価値転換」(桑原武夫)の中の一節です。*『日本文化の活性化 エセー1983−88年』(1988.11.25岩波書店)『桑原武夫―その文学と未来構想』(平成8年8月24日 杉本秀太郎編 淡交社)にも同じ文章が収載されています。

 『日本文化の活性化』は、桑原氏が1988年4月10日に逝去された直後に遺著として出版されたものであり、『桑原武夫―その文学と未来構想』は、「日文研」講堂における同氏七回忌(1994.4.10)での約600人の集まりにおける新京都学派リーダーたちの講演記録が収められています。

 『日本文化の活性化』の筆頭には「柳田さんと私」というエセーが載せられており、柳田さんは桑原氏を大変可愛がったことが書かれており、小林秀雄も、「批評家を止めてからは柳田国男を思索の対象として孤独な内省に徹した。」(若き日に小林秀雄に心酔された杉本秀太郎さんの言)そうです。
 まるで喧嘩を売っているような柳田国男さんの冒頭の文章ですが、このような背景を知ると、桑原氏や小林氏に対する柳田さんの愛情あふれる言葉であることが分かります。

 今年1月15日に、平凡社から『新京都学派―知のフロンティアに挑んだ学者たち』が出されており、京大人文研や日文研のことが詳しく書いてありますので、今読んでいます。
もし“伊東静雄が80歳位まで生きていたら、この「新京都学派」といわれる心温かき人脈が醸し出す雰囲気のなかで、作品や後継者を育みながら、穏やかな「老い」を送れただろうになあ!”というため息の様なものが出てまいります。

 先日お亡くなりになったハイデガー研究者木田元氏(昭和3年生れ)も、若き日には小林秀雄に心酔され(『なにもかも小林秀雄に教わった』文春新書)たそうで、『闇屋になりそこねた哲学者』など波乱に満ちた青年時代のことなどを書いた本はとても面白く読ませていただきました。若き日には朔太郎や伊東静雄の詩なども愛読されたそうで、ジュンク堂で『詩歌遍歴』を取り寄せ中です。
 木田元氏の御冥福をお祈りいたします。




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板