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伊東静雄を偲ぶ
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尹東柱
私の教え子のTさんは、教え子といっても「先生、わたしもうじき古稀やで」という位で、たぶん40代の終り頃に私たちの通信制高校に入学して来た、元気のよい、在日のおばちゃんである。
Tさんが自分でも思いがけず入院し、ベッドで『尹東柱詩集』を読んで、先生にも読んでもらおうと思って、わざわざゆうパックで岩波文庫版『空と風と星と詩 尹東柱詩集』を送ってくれた。私も買うつもりをしていたので、これはうれしかった。もうひとつうれしいことに、後半にハングルの原詩が収録されている。だが悲しいことに、私のハングルはもう完全にサビついていて、読めるのだが読めない(おわかりでしょうか?)
茨木のり子さんが『ハングルへの旅』の最後のほうに、尹東柱のことを書いている。茨木のり子さんはTさんの肌にも合いそうだから、『茨木のり子集 言の葉』3冊が文庫で出ているよ、ということも含めて、知らせてあげた。(『言の葉 3』にも、エッセイ「尹東柱について」が載っている。)
『ハングルへの旅』の終りのほうに、こんなことが書いてある。
“尹東柱は留学生時代、立原道造を読んでいた。年譜でそれを知った時、ハッとした。尹東柱の詩を読んでいると、その抒情の質が立原道造に似ているような気がしていたから。”
ある詩人の「抒情の質」を比べる、というのは、考えればとんでもなく難しいことだ。それは読む者の「感性の質」を試される、というのに等しい。
茨木さんはあともう少し、いろいろ書いている。私としては今のところ、死の直前に変な方向に曲がりかけて、その可能性を可能性のままに残して、24歳で若死してしまった立原と、同じく27歳、1945年2月、「解放」のわずか半歳前に、福岡の刑務所で獄死した、生前一冊の詩集も刊行されず、その名前さえほとんど知る人のなかった尹東柱と、そんな二人の若い詩人が、同時代に、たがいに顔を合わすこともなく、軽井沢や追分と、下鴨警察署や福岡刑務所で、別々に、生きていたという、〈事〉の、ふしぎさ。尹東柱-立原道造と、こんなふうに二人の間に引かれた線の、そのふしぎさにハッとする。
文庫では金時鐘さんが「解説に代えて――尹東柱・生と詩の光芒」を書いている。かすかだが決して消えない火種が、まわりのものをブスブスといぶらせて、その焦臭が私たちの身体に突き当たりまつわりつくような、濃密な、熱い、激しい文章でした。
[「対話」は難渋中]
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