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伊東静雄を偲ぶ

1014山本 皓造:2014/04/14(月) 11:51:17
立原・対話・ハイデガー(5)
 すると直ちに次の問いが生ずるとハイデガーは云う、
 「引裂く時のなかで常住のものを把捉しそれを言葉で繋ぎとめるものは誰であるか」
 これに答えるのが、ヘルダーリンの詩「追憶」における次の言葉である。

4「常住のものは、しかし、詩人がこれを建設する」(?,63)
 (浜田訳:「留まるものを創設するのは、しかし詩人たちなのだ」
  Was bleibet aber, stiften die Dichter.)
 斎藤訳で「建設する」とあるのは、stiften で、浜田訳はこれを「創設する」と訳する。辞書では、たとえば、a)(…のための)[設立]基金を出す;(…を建設する);(…を)寄贈する、寄付する、喜捨する……b) 創立する、設立する。名刺形 Stift には(寄付によって設立された宗教上の団体・施設;)宗教財団;理事会;参事会;修道院;神学校;司教区本部……などの訳がつけられている。その寄付金や基金が Stiftung、これはまた寄付という行為をもさす。このようにかなり特殊な使い方をする語であるのに加えて、ハイデガーはさらに他の文脈でもこの語を用いていて、それぞれに特殊なニュアンスを与えているらしい。ようするにハイデガーが、詩人が stiften する、と述べたここの意味を深く追究し解明し解説する力が、私にはない。

 寄り道はここで終わって、ハイデガーの論旨を続けよう。
 留まるものは必ずしも常住不動ではなくてむしろ速やかに移ろい去るが、どのようにしてこれを繋ぎとめるか。
 「詩人が名づける。……詩人は本質的な言葉を語るものなるが故にかく名をよぶことによって存在するものが始めてその本質を規定せられ、かくて存在するものとして a l s Seiende 知られるにいたるのである。詩は言葉による存在の建設である Dichtung ist worthafte Stiftung des Seins.」

 ここでハイデガーは簡潔な要約を行った後、次節に引き継ぐのだが……

5「いさおしは多けれど、しかも、人間はこの地上に於ては詩人として住んでいる」(IV, 25)
 最終節のこの言葉は私には謎のようなものだ。ハイデガーの説明は保留して、私ももはや疲れて来たので、ここで一気に、《歴史》と並ぶもうひとつのキイワード、《民族》の提示される場面へ飛ぼう。それは突然出て来るのである。

「最初に生じた結果は詩の活動領域は言葉であるというにあった。それ故に詩の本質は言葉の本質から把握せられねばならぬ。ところで次に明らかになったことであるが詩とは万物の存在と本質を建設しそれに名を賦与することであって決して気儘な饒舌ではなく、むしろそれによって始めて我々が日常の話のなかで物語ったり談論したりしている一切のものが明るみに歩み出るをうるにいたるような当のものである。故に言葉が予め創作材料としてそこに見出されてそれを詩がとりあげるというのではなく、むしろ詩そのものが始めて言葉を可能ならしめるのである。詩は民族の根源的な言葉である。それ故に逆に言葉の本質がが詩の本質から理解せられねばならぬ」

 詩は民族の根源的な言葉である Dichtung ist die Ursprache eines geschichtlichen Volkes.これはずいぶんと激越な言葉だ。浜田訳は「詩作は歴史的な民族の祖語である」祖語というのも激越な訳語だ。




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