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伊東静雄を偲ぶ
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未発表詩発見のこと
うれしいニュースでした。
阿部高の男女共学風景はなかなかいいですね。こういうのを一日一篇くらいづつ、どんどん書いて私たちに残してくれればよかったのに。――
昭和23年といえば、私はちようど「新制中学」に入った年でした。その時は伊東静雄のイの字も知らず、三年後の昭和26年に住高に入りましたが、その時には伊東先生はもう阿部高にも住高にもいなくて、河内長野の病院に入っておられました。
今から10数年前、中学の同級生の旧交が復活しはじめ、会食をしたり、毎年一泊旅行をしたり、そのうち誰かの発案で、思い出『文集』を作ることになりました。絵がうまくて、後にデザイナーになった友人が「中学生の頃の山本君をイメージして」描いてくれた、当時の新制中学生像があります。こんな格好で、北田辺町522の筋向いの昭和中学まで、カランコロンと歩いて通っていました。まだ戦後。けれども、私たちは皆、貧しくて、素朴で、キラキラ輝いていたように思います。
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