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伊東静雄を偲ぶ

1005山本 皓造:2014/03/19(水) 10:24:00
立原・対話・ハイデガー(3)
2.「その故に凡ゆる財宝のうち最も危険なるものである言葉が人間に与えられた……人間が自らの何ものであるかを証せんがために……」(?, 246)

 ハイデガーは、1でのべた「詩作は凡ゆる営みのうち最も罪のないもの」ということと、この個所(2)でいう、「言葉は凡ゆる財宝のうち最も危険なるもの」という、この両者はいかにして両立するか、というふうに問題を立てておいてから、いったんそれをわきにどけて「三つの先決問題」をまず考える、といいます。三つ、とは
 1. 言葉は誰の財宝であるか。
 2. 如何なる点においてそれは最も危険なる財宝であるか。
 3. 如何なる意味においてそれは一体財宝であるか。
 私には残念ながら、この三つを逐条的訓詁的に解明するだけの力がありません。自分でこれが最低最小のぎりぎりの要約と考えるものを書いておきます。しかし、空を掴んでいるかもしれない。

1. 人間は自らの何ものたるかを証しせねばならぬ者である。この証しをするために人間に言葉が与えられた。言葉は人間の財宝である。
2. 後述
3. 言葉は経験と決意と気分を伝える有用な道具 Werkzeug として役立つ。しかしそれは言葉の本質の偶有的な一部分にすぎない。本質的な点は、言葉があってはじめて世界がある、ということである。そうして世界があるところにのみ歴史がある。言葉はこの、より根源的な意味において、財宝 Gut である。

 さて、後述とした2では、言葉の「無垢」と「危険」とをいわば対比するような形で、ハイデガーは少し贅沢に言葉を費やしています。この部分が私にはおもしろかったので、この「対比」部分を取り出してみましょう。

■人間は一般に言葉の力によって初めて顕わなるもの Offenbare にひきわたされる。
 (浜田訳:開示することに晒される)。この「顕わなるもの」というのは難解な概念で、困ってしまうのですが、ハイデガーが他の個所で云っていることをてがかりにして、とりあえずここでは「現世的なもの Weltliche に組み入れられる」という意味に読み解いておきます。
■現世的なものに組み入れられた言葉が自己自身のうちに内蔵する危険
 言葉は理解され且つ万人の共有財産とならねばならない。
 そのために言葉は、
  純粋なもの das Reine、本質的なもの das wesentliche と並んで
  混乱せるもの das Verworrene、低俗なるもの das Gemeine ともならねばならない
■ヘルダーリンは云う
 初穂は神々に帰属する
 果実が人間のものとなるのは、それがもっと陳腐な gemeiner 有り触れたalltäglicher ものとなるときである
■結論:かくて言葉はたえず自己を自己自身によって創り出された仮象のうちに投げ入れそれによって自己の核心――純粋な言葉 das echte Sagen ――を危険に曝さざるをえないのである。

 このように要約すれば、次の課題「如何にして言葉は生起するか」が見えて来ます。次章、3.の主題は「対話」です。

 * 「通俗的な、低俗な、陳腐な」という語に対するのが gemein であることは、ちょっとした新鮮な驚きでした。われわれが学生時代に学んだドイツ語では「共通の、共同の」と訳しておけばすべて間に合ったものでした。そういえば太宰治の『ダス・ゲマイネ』も「通俗的・卑俗的」の意味だということでした。




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