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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

993万理久利:2010/12/26(日) 21:42:27
晴(はれ)と褻(け)の狭間で (狭間シリーズ2)評論3(完)
再度晴れと褻にについて。 古来から私たちの祖先たちは、ふだん通りあたりまえに暮ら
す”日常”を”ケ(褻)”と呼んでいました。退屈きわまる日常に対し、お正月、節句、結
婚、喜寿の祝い等々の行事の中では、晴れ着を着て、めったに食べられない料理を食べ酒を
飲む。一つの生活のくぎりみたいなものを作り上げてきたのでしょうか。
これは人間が作り上げ、積み上げた知恵です。

この言葉やその意味を忘れたり、知らない人間が多くなってきているのではないでしょうか。
私もそのひとりです。そして退屈な日常を破る晴れの日を、行事の中では失ってきているよ
うな気がします。

筆者は晴れと褻を「躁・鬱」に置き換えて分析しています。空間においても「躁・鬱」に置
き換えています。広い意味で晴れと褻をとらえれば、私も躁と鬱、精神状態の微妙な変化に
結びつけることができます。わかりやすい、なじみやすいからです。退屈な日常生活(褻)
にも晴れと褻を感じ、躁と鬱を行き来するのです。

窮屈な日常を過ごしながら、晴れと褻、躁と鬱を繰り返しながら、やはり耐えられるのは、
晴れの時がくることを希望していること。その晴れを作者は「日常の煩雑さから解放された
大きな精神の晴(は)れの世界」だと表現している。行事、形式ではなさそうです。精神の問
題としてとらえています。 これで全部納得です。私もスカーッとする時をじっと待ってい
るのです。

私にとっては聞き慣れない言葉、そこから躁鬱へとつながり、空間の効果まで知ることがで
きた貴重な作品となりました。躁状態、るんるん気分のときどんな作品をかくのでしょうか。
読みたいところですがその時はきっと遊びほおけているのかもしれません。
本当の晴れの時はこわくて近づけません。
おわり
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