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趣味と道楽の狭間で(狭間シリーズ1)感想−2
筆者は言葉を大事にし、かつ飽くなき探求心があるからその都度気になった言葉
を広辞苑を開き、時には英訳にも当たり検証する。このパターンを時々見かける。
人間は共通言語(定義)があって初めて会話が成立する。文章が書けるのだと思う。
定義がぐらついたら両者話がかみ合わないし誤解も生む。哲学者と宇宙物理学者
の会話をまとめた本を読んだときもそう思った。
一方、先の合評で長岡氏が指摘したように「日本語では、意味の重なりが大きい」
私もそれを感じる。それこそが連想、意識の拡大をもたらす力かもしれないと思う。
一つ重要なことは、言葉のそもそもの意味、語源にあたり、その上で意味の重な
り合いを駆使して会話し、作品を書くということではないか。 そこにおいては
理系分野の定義と変わらない。広がりと重なりをも認識する、この部分ではエネ
ルギーがさかれるとは思うが。
※私はあらゆる文章を決して鵜呑みにはしません。 自分で考えて消化します。
筆者の言葉への拘りをみていて、ひたすら連想に走る自分を振り返っているところ
です。言葉の空回りになっていないかと。
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